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あとがき 樋口芽ぐむ

 SNSを眺めていると、ある属性の特徴や性格や歴史などを、論証なしに決めつけて、否定する根拠とする例を、当たり前のように見るようになりました。
「LGBTQ+は~」「女は~」「男は~」「障がい者は~」「○○人は~」「非正規雇用は~」「Z世代は~」「チーズ牛丼温玉トッピング~」「サイゼリヤで初デート~」などなどなど。
 
 SNSで、この種の投稿を見る度に、私は内心でつぶやきます、「血も涙もある人間なのに」
 
 もちろん、ある属性における恩恵も影響も受けています。
 受けていますが、属性に関係しないことも、たくさん経験し、感じ、考えていて、それも、私という人間を成立させる大切な要素なのです。
 
 私は、私小説という手法に思い入れがあるので、弁護士が事件の記録を読むように自分を分析し、語りたくて自分について語っていますが、それにプラスして、属性に基づかず、個人の立場から、個人の物語を書き記し、発言したい。
 それにより、ゲイとか障がい者とか外国人などである前に、個々に事情や気持ちを有した人間だと、血も涙も、あるいは笑顔もあるのだと、世の中に改めて理解してもらいたい。
 
 それを目的に、以前に、ウェブマガジンをやりたいとSNSで参加者を募集しました。
 5人集まったら決行しようと思ったのですが、応募してくださったのは私を含めて3人。結果、中止。
 私の人望の無さ故であり、そのことについて不満はないのですが、応募してくださった三太さんが、中止を知らせた際に「二人同人誌をやりましょう」と提案してくれました。
 快諾したものの、実際に作品を書き始めるまでには時間が掛かりました。
 三太さんが、ご自身の専門分野である介護福祉についての記事を書かれることは事前に聞いていて、テーマに掛ける思いや熱量、それに拮抗する物を書ける自信がなかったのです。
 結局、私は切実なテーマとして自分の家族について見つめ直し、ようやく三太さんの作品に対して恥ずかしくない熱量を持てる感触を得ました。
 
その後、私的な事情や、社会情勢の大きな変化などもあって、『ミス・コリアン』と『よそ者』の二本を書きました。
 また、二人で『来し方行く末仕舞い方』を共作しました。
 壱参伍の奇数回とタイトルをお書きになったのが三太さん、弐肆陸を書いたのが樋口です。
 
 同人誌が形になるまでは、順風満帆と言えません。
 でも、何と言いますか……同人誌を一緒にやる人がいると、自分の作品は自分の作品なのですが、自分だけの作品ではないのですね。言葉一つを選ぶにしても、一人だけで書くときとは違う意識で、丁寧に慎重に選んでいる感覚がありました。
 この感覚は、たぶん、読んでくれる方や同人誌を共に作る伴奏者への礼儀を意識することであり、今後物を書く上で、重要な気がします。
 それを学べたこと、あるいは誰かと協力して何かを形にする経験をできたこと、これもまた、私を私として成立させる、掛けがえない要素。
 
 三太さん、そして、読んでくださった方々、ありがとうね。

BY 樋口芽ぐむ