【共作】来し方行く末仕舞い方 その弐 担当・樋口芽ぐむ
銀河系統括部地球課第二係長ツノジカは、半分ほど読み終えたレポートを廉価のパソコンデスクに置いた。常にストックを怠らないアーモンドチョコを一粒食べて、カフェインレスコーヒーを飲み、窓の外に目を向ける。夏の空に浮かぶ雲が、一雨をもたらすだろうか。
係長ツノジカがUFOで地球に赴任して、宇宙法律の第4章の第242条に則り不動産屋や区役所職員の意識をいじり、つまり架空の収入や保証人の存在などを信じ込ませて契約を進めて住民票を取得し、東京都23区の築五十年の鉄筋マンションに住み着き七年になる。
無論ふだんは地球人の姿に擬態して、大量生産の安価なスーツに身を包み、ニッポンエリアにおける地球人の性愛事情を知るためのフィールドワークに勤しんでいる。本来の彼は拷問に使えそうな立派な角を有し、けれどつぶらな瞳と年齢(8万32歳)に似合わぬ柔らかな体毛を全身に残している。
部下のアカギツネは上下スウエットという姿でベッドに寝ころび、電子タブレットでネットフリックスの『全裸監督』を視聴している。業務をサボっているわけではない。部下にも同じ内容の調査を命じており、ネットフリックスは調査の一環なのだ。ちなみに係長ツノジカとアカギツネが寝起きする部屋は広めのワンルームである。
「調子はどうか」
係長ツノジカが問うと、スウエットパンツに手を突っ込み脇腹辺りを掻きながら
「山田孝之と伊藤沙莉はいい役者っすね~」
とアカギツネが答えた。そういうことを尋ねたのではない。進捗を訊いたのだ。アカギツネは、いまは地球人に擬態していない。琥珀石に似た瞳と明るい茶色の体毛を有している。優秀だがやる気があるのか分からず、油揚げをトッピングしたお蕎麦よりも天カスを添えたそれを好む。
赴任した当初は東京の繁華街へ出向き、デリヘルやウリセンやハプニングバーやSMバーなどを巡りデータ収集に勤しんだ。ときに地方の主要都市はもちろん電車が一日に三本の田舎町も精力的に訪問した。
働いているような働いていないような、しょっちゅう留守にするし、兄弟にしては似ていないし、ご近所さんからは素性が知れない、でも挨拶するしゴミ出しのルールを守るし、騒音を出さないし仕事のお土産をくれるし、悪い人たちではないと思われていた。職業を問われると「ギリ食べていけるライターとその弟子」と答えた。
平穏に日々は流れ、しかし予期せぬ感染症が世界的に流行し、自宅でのリモートワークに集中するより仕方ない状況がしばらく続いた。赴任前に接種していた宇宙ワクチンのお陰でツノジカとアカギツネは、地球上のあらゆる感染症に対する免疫を獲得していたが、うかうか出歩いて目立つのはよくないと判断したのである。
トラブルは仕事のつきもので大してストレスはないけれど、よその国で戦争が始まって終わる気配を見せない、有力者が撃たれて急逝、政教分離の有名無実化、と思ったら別のエリアでほぼ虐殺の戦争が始まって終わらない、ジャニーズ、物価高騰、環境破壊に自然災害、大谷翔平がホームラン王、松本人志、都知事選に56名が立候補などなどなど、想定していない事態が続発して少々係長ツノジカは疲れていた。
感染症による移動制限はなくなっているけれども、日本中を駆けずりまわりフィールドワークに臨む気概がすっかり失せた。また宇宙本部へ送付すべき資料の作成が滞っており、家から出ない日も珍しくない。
パソコンデスクのレポートに目をやりながら、
「三太氏は順調だね」
アカギツネが面倒くさそうにベッドの上に起き上がる。
「はい、SNSで知り合い、DMでこちらの正体と自身の性およびそれにまつわるレポートの提出を依頼すると、快諾してくれました。大抵は気味悪がられてブロックされるのに、逸材っすね。ま、我々の記憶は、最後には消しちゃうんですが」
「もう一人は?」
「ああ、芽ぐむ氏。用件を伝えたら『この前、彼氏ができて!』とノリノリでしたけど、二日後にフラれやがって。泣き言を二時間聴かされましたよ。電話番号を教えるんじゃなかった」
「レポートは出てる?」
「インタビューならいくらでも答えます、って。だから電話番号を教えたっすけど、失敗したな~」
「データを見せてくれ。しかし地球外生命体と分かっているのに、君との性交渉に臨むとは無謀な男だ」
「雑食と言ってったっす。あと残り時間が少ないから機会を逃したくない、とも」
「腕前は?」
「中の下。はい、データ」
アカギツネがあらかじめプリントアウトしていたデータによると、樋口芽ぐむは53歳。添えられた写真を見ると、文藝春秋を作った菊池寛から威厳と経済力と人間力を奪った趣である。レポートはアカギツネを聴き手にして、なるほどインタビュー形式だった。
子どもの頃に『聖マッスル』という漫画があって、主人公は筋骨隆々で全裸なんだよ。ドキドキしましたね。あのドキドキには、性的なものが含まれていたと思う。でも股間がツルツルで、子ども心に不満だったな笑。
同じ頃に永井豪先生の『けっこう仮面』が連載されていて、こちらは女性が全裸で、やっぱりドキドキしましたね。いまはしないのに、あの頃は裸なら何でもよかったのかな。
中学生になって、周りに合わせて彼女を作らなきゃと思って、目ぼしい相手に告白して、断わられて、本気じゃないと気づかれたのかな。うん、断わってくれてよかったです。
高校生の頃にアメリカのポルノ映画のレビュー雑誌があって、内容紹介の写真がめちゃくちゃく豊富なの。あのね、日本のエロ雑誌って男優の顔や体を極力写さない。その点あの雑誌の編集者は偉かったですよ、男優にも需要があるって理解していたもの。
それでね、消し漏れで、ジョン・ドーっていう男優さんのジョン・ドーが丸出しだったの。人生で初めて見ました。いまでも鮮やかに覚えています。盆と正月がいっぺんに来るような自慰を、夜ごと繰り返しましたね笑。
ああ、うん、「ジョン・ドー」は「名無しの権兵衛」の意味ですね。警察が身元不明の遺体に「ジョン・ドー」の札を付けたなんて話もあります。
実在したポルノ男優のドーさんは、確か同業の女性の俳優さんと交際していたな。人柄がよさそうでね、射精回数のギネス記録を持っていたみたい。何年か前に亡くなられたけど、自殺だって。悲しいですね。
ドーさんのドーさんを目撃して、俺の性的欲求の対象は男性って確定しました。それまでも欲情していたんだけど、確定まではね。
この頃は誰かと将来セックスできるなんて、想像できなかったな。キスも未体験だったもの。何事にも自信がなくて。
それが、宇宙人とワンナイトラブするまで成長して、未来って分からないですね笑。腹減りません? タヌキ蕎麦作りましょうか。