「星野くんの二塁打」って知ってる?【意見まとめ】
はじめに
みなさんは「星野くんの二塁打」を知っていますか?
50年以上、小学校の道徳の教材に載っている作品でしたが、子供に自主性が求められるようになり考え方が時代にそぐわなくなったことから、今年(2024年)、教科書から削除されることになりました。このことについて様々な意見が飛び交っています。
今回はYouTube に投稿してあった有名人の方々の言葉を踏まえながら自分なりの意見を書きました!
みなさんはどう考えますか?
ぜひこの議題について考えてみてください!
※以下「星野くんの二塁打」のあらすじ
星野くんの二塁打 part1
星野くんの二塁打 part2
星野くんの二塁打 part3
有名人の意見
以下、動画内の意見を自分なりに要約したものです。
ひろゆき
選手たちが権力を過度に行使する無能な監督の指示に従わざるを得ない構造は今の日本社会のようだ
本来であれば情報の多い現場にいる、選手に任せるべき
わかしん。
有意義な話し合いが生まれるという点でこの教材は残すべき
教える先生が他の先生と異なる意見になることを恐れている
薄井シンシア
組織の立場から考える
上からの指示に疑問があるのであれば徹底的に抗議すべき
決められたことは100%守る。もし守れないのであれば組織から離れるべき
小林史明
正解が定かではない議題を学校の教材として使うのは先生の教え方によって変わるため安定性に欠ける
教科書の内容ひとつ変わっただけでこれだけ話題になるのは日本が変化を恐れている証拠である
「チームプレー」を問いたいのであれば「大谷のバント」を題材にすべき
ルールを守ることと自主性の両立を先生が教えられるのか
安部敏樹
「チームプレー」を問いたいのであれば「大谷のバント」を題材にすべき
原作と教材の内容が変わっており、原作の方のクオリティが低いように思える
ルールを変えたことのある教員こそが、その大切さを教えることができるため教員全員がそれを教えられるわけではない
自分の意見
結論から言うと私はこの題を教科書から消してしまうことに賛成しません。
有名人の方々が話したように、この題には明確な答えはありません。そのため、教育面からすれば先生それぞれで意見が異なってしまい、授業という形で取り上げるには難しいところがあるのも事実だと思います。
生徒はそれぞれの先生が考えた結論が正解であると考えてしまうでしょう。つまり、先生の技量や意見によって教育の質が変わってしまうのです。
そこで私は先生同士で意見を言い合う機会を生徒に見せつけることが大切なのではないかと考えました。
国語や数学といった、勉学に関する教育には結論が決まっていてどの先生が授業を行っても同じような答えになります。
そのせいで生徒たちは先生を「お手本」のように捉えてしまい、先生の言うことに従っておけばいい、先生の真似をすればいいと言う考えに陥ってしまうのだと思います。(私もそうでしたので…)
この状態のままでは明確な答えのある保証がなければ行動しない、自主性に欠けた操り人形のような大人へとなってしまうでしょう。
そのような状態を防ぐために、なるべく先生は「お手本」と言う価値観を生徒に持たせない、または払拭するような立ち回りが必要になるのだと考えます。
そこで手取り早いのが「先生同士の意見の衝突」です。
先生はお手本であり、正しい存在であると言う価値観を持った生徒が「正しさ」同士の衝突する場面を見ることによって様々なことに疑問を持つようになるのだと思います。先生でさえわからないことがあるということを知ってもらうだけでもそこから生徒自らの思考が活発になり、自分はどっちの意見に賛成するだろうか、他に良い案はないか、という積極的な思考を行う機会を設けることができるでしょう。
以上より先生同士の衝突する機会を生み出す意味で「星野くんの二塁打」を教科書に残すことがいいと考えました。
最後に
いかがでしたか?今回は「星野くんの二塁打」について自分なりの意見を書かせていただきました。
答えのない題材について考えることは自分らしさを見つけ出すいい機会だと思います。様々な意見が飛び交う中、自分なりの考えを持つことで自分は何を大切にしているのかにふとした時に気づくことができます。今回に限らず普段の生活でも相手と意見が違ったり分からなかったりするときがあるでしょう。でもそんな時は悲観的にならず自分らしさを発見したと思って前向きに捉えるのがいいのではないかなと個人的に思いました。
私の考えはあくまでも一つの意見なのであまり真に受けずに参考程度に捉えてくださると嬉しいです。
拙い文章になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!ではまた!