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教員だったころの思い出①

昨日は週1回の運動の日だった。この運動に行くと実感するのは70代でも元気な方はかなりの割合で「体がやわらかい」ということ。私は一番の若手であるにもかかわらず一番体が硬い。疲れやすさは体の硬さも関係しているんだろう。毎日ストレッチするといいと言われるがストレッチしても効果を感じない。長年の蓄積は手ごわいな。

このブログでは、深く自分の教員時代に触れてくることはなかった。書かなかった理由としては、ほかに書きたいことがあったことと、身バレがこわいことと、何より過去の自分を思い出したくなかったから。どうしてもつらい記憶ばかりがよみがえる。
でも、書いてみようかな。

私はいわゆる「新卒新採」です。就職氷河期バリバリの時代になぜか1回で受かったのだ。倍率的には8倍くらいだった。なぜ受かったのかは永遠の謎。自分でもわからない。ただ、教員採用試験は私の中で人生で一番勉強したと思っている。これが私を苦しめた。
最初は自分より年上の講師の人とうまくいかずかなり苦しかった覚えがある。右も左も分からない大学上がり人間がいきなり「先生」と呼ばれる。理想と現実のギャップと人間関係に苦しみまくった初任校だった。今の私だったら3日で辞めてた。

初任校で一番覚えているのは1学年の会計を任されたとき。わかるはずのない私は先輩の先生に聞きながら、去年の書類を見ながら作成し管理職に回覧した。会計の書類だったので事務長に呼び出され「なんなんだこの書類は、ちゃんと項目見直して作り直してこい!」と事務室でほかの事務職員のいる前で大声で怒鳴られたことがあった。さすがにあんなに面と向かって怒鳴られたことが学校では初めてだったので、足がすくんでしまった、ということがあった。しかも、私は前年の書類を見て作っているので何が悪いのかわからず…。かたまっていると別の事務職員の人が「事務長、1年生は入学式の時にお金納めてもらってるからいらない項目ですよ」と助け船を出してくれた。

今でも忘れない、体がすくんだ、理不尽な怒鳴られ。
当時事務長は50代だったと思う。さすがに50代のおじさんから怒鳴られたら(しかも私間違ってなかった)22歳の私はたまったものではない。学校の教員って、保護者や生徒、地域の人以外でもこんなところでも怒られたり(理不尽)するんですよ。
ほかの人にはあまりないエピソードを選んでみました。

あとは警察で供述調書?を取られたことかな。私の人生この一度きり。
担任をしていた生徒が卒業後、警察にお世話になるようなことをしたようで、その生徒の過去を調べていたみたいでした。これについては詳しく書けませんが、いい人生経験をさせてもらいました。

いい思い出で浮かぶのは、北海道に3回行けたこと。
修学旅行の引率は全部で6回しました。うち3回が北海道でした。スキーと札幌自主研修のセットで、めったに雪の降らない地域の住人である私は、白銀の世界を毎回堪能しました。
コロナ禍の3年前も行きました。コロナ禍で外国人観光客がほとんどいなかったせいか非常に静かで快適な旅ができました。修学旅行の北海道の旅は結構いいホテルに泊まれるんですよね。昔は教員同士で相部屋だったりしましたが、今はそれもなく一人でメゾネットに泊まったりしました。まあ、部屋にいる時間はほとんどありませんでしたが。

教員だった日常に関してもまた書いていきますね。
北海道また行きたいな。


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