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銭湯

冬になると思い出すことがある。
わたしが大学生だった40年以上前のこと。
当時、親元から離れて一人暮らしをしながら大学に通う学生は、お風呂がないアパートに住んでいる人が結構いた。
だから銭湯がまだたくさんあった。
彼のアパートにもお風呂がなかった。
初めて彼と銭湯に行った時。
冬だった。
わたしは長い髪を乾かす時間も考えて、彼を寒い外で待たせないように急いで髪と体を洗い湯船に一瞬だけ浸かり髪を乾かし銭湯から出た。
彼がまだいないのを確認してほっとした。
程なくして彼が出てきた。
わたしを見るとびっくりして
「ごめん」
と言って近づいてきた。
「そんなに待ってないから大丈夫」

二人で黙って暗い道を歩き出した。
彼が急にわたしの手を握って自分のダッフルコートの大きなポケットに入れた。
少し硬いダッフルコートのポケットの中はそんなに暖かくはなかったけど彼の優しさが嬉しかった。

ヒートテックもダウンジャケットもない時代。
冬の銭湯は帰るまでにすっかり体が冷えてしまう。

彼とはすぐに別れた。
多分その頃からわたしは本当の愛がどういうものなのか、わからなかったんだと思う。
そしてもう今更わかる訳もなく生涯を終えるんだと思う。

だけどやっぱり冬になるとあの日のことを思い出す。

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