見出し画像

「大村湾の美しい風景に見せられて」前編 対談者:ハウステンボス設計士 池田武邦様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^-^)/

今回は長崎県でも一番人気と言っても過言ではないテーマパーク、ハウステンボスの設計者である 池田 武邦様をゲストに迎えたトークを掲載いたします!

今回は内容を前編・後編に分け、2週にわたって掲載いたします。

池田先生との出会い

ハウステンボス創業者の神近さんからご紹介を受け、池田会長にお会いさせていただき、その後何度もお話を聴く機会を得ることができました。

池田会長の人生観、仕事観、そして江戸時代から学ぶ話はとても共感しました。

こよなくハウステンボスを愛されている池田会長とのトークが実現できたことをとても嬉しく思いながらの取材でした。西海町のご自宅に招待をうけての訪問。

自然に囲まれ、波の音と風を全身で感じながらのインタビューで、スタッフとともに心地よく取材ができとても幸せな時間を過ごすことができました。


2003年にヒューマンニュースレターに掲載した、池田 武邦様とのトークを当時の文章で掲載いたします。


「大村湾の美しい風景に見せられて」

大村湾

<ヒューマンニュースレターVOL.15(2003年11月発行)より転載>

ハウステンボス設計士 池田 武邦 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

今月のヒューマントークは、日本初の超高層ビル霞ヶ関ビルや、環境都市ハウステンボスの設計者池田武邦様にご登場いただきました。

今回は西彼町にある池田様のご自宅にお伺いして話をお伺いしました。

内海:ハウステンボスのご縁で、池田先生の講話を何度か聞かせて頂いておりますが、今回は長崎県西彼杵郡西彼町との関わりや今の池田先生のライフサイクルなどのお話をお聞かせ頂けたらと思います。
先生が西彼町にお住まいになられるきっかけをお聞かせ願えないでしょうか?

池田:ここ(西彼町)に来たのは30年以上前ですね・・・。もともと私は海軍でして、僕のクラスメイトが大村航空隊にいたものですから、佐世保に入港すると大村航空隊に足を運んでいたんです。その時は戦争の最中でしたし、クラスメイトと会えると言うことしか頭になかったので、景色が綺麗とかとかそういう事は一切考えていませんでした。

昭和18年に「矢矧」と言う巡洋艦に着任致しまして、19年に連合艦隊のマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参戦してかなりやられました。そういう激戦の中でやられると佐世保に帰って応急修理をしては、また次の戦地へ行くという態勢でしたので、私達は佐世保に帰ってきたのです。

私は負傷していたもので、すぐ海軍病院に入って治療を受け、体は治ったのですが、船が全滅しているので乗る船が無く、行き先が決まらないで空白の時間がありました。

その時に大村湾に散歩にきたら、景色がすごく美しい!と大変感動しまして、それまで何度も見た風景だったのに、緑と海が透明でまだ4月初めから4月半ばぐらいだったので、桜が多少残ってる状態で緑の中にぽつんぽつんと咲いていて、日本ってこんなに綺麗だったのか!・・とその時初めて発見しました。もし戦争が無くなって平和な時がきて自分が生きていたらこんなところに住みたいなぁ~と思っていましたが、戦争が終わって自分が生きているとは100%考えていませんでしたので、そんなことは夢のまた夢でした…。

ところが戦争が終わって、そんな事はすっかり忘れて20数年経ち、超高層ビルを設計する設計事務所を東京に設立し、社員面接をしておりましたら、その中の一人に「出身はどこですか?」と尋ねると「長崎」と言うのです・・・。「長崎」という言葉を聞いて20数年間全く忘れていた「大村湾」のあの時の美しい風景を思い出しまして、忘れられなくなってしまいました。「大村湾には凄く綺麗な入江があったね」と言ったのがきっかけで「大村湾を知っている人がいるのでご紹介します」とのことで、それからトントン拍子で話がすすみ、もう一度大村湾を見たいと思っていたので行ってみることに…。

紹介してくれた方が菊水という食堂に下宿している小学校の先生を紹介してくれて、その先生が菊水の今村さんを紹介してくれたのです。今村さんがそういう事ならと※神近青年(ハウステンボスの創業者 神近義邦氏)を紹介して下さったのです。

神近青年は献身的に西彼町の海岸線を2日に亘って全部案内してくれました。「どこか良い土地があったら言って下さい。」と彼が言ったので、「ここがいい」と私が言ったら、東京に帰って半月も経たないうちに「段取りしました」との連絡がありました。 本当に全部のタイミングが良くてトントントンと話しが進みました。


すぐにリゾート用のバストイレ台所がついたバンガローみたいなプレハブのアルミの小屋を運んできたわけですが、車が入れる道がないので、大潮で潮が引いたときに運んで置こうという事で、岩がゴツゴツしていたところを神近青年がユンボで岩をどんどん削って、今あるこの自宅の土地へポンと置いてくれたのです。しかし削った岩が漁業組合にとっては大事な岩だったらしいんです。それを何の断りも無しに一気に壊して運んでしまったので、漁業組合長はカンカンに怒ってしまいました。

私は、一升瓶を持って漁業組合長の家に挨拶に行ったところ、漁業組合長の浅田さんの玄関に軍艦の写真が貼ってあるのです。
浅田さんが出てきたとたんに「あっ!池田航海士!」…。レイテ海戦の時、浅田さんは医務班担当として「矢矧」に乗っていた看護兵曹だったのです。岩の話しはみじんも出なくなり、酒を出して夜遅くまで「よく生き残って帰ってきたなぁ」と語りながら呑みました。

内海:西彼町には定期的に来られていたのですか?

池田:お正月と、春休み、夏休みは必ず来ていました。ここに来るとこの辺は浅田さんや近所のみなさん方が集まってくれて、大変良くしてもらいました。もう30年以上お付き合いさせて頂いています。


ようやく今定着しだしたので町内会にも出たりもしているのですが、「どうして東京からこんなところへこられたのですか?」とよく言われます。1度その話をしてくれということで、夜、集会場で戦争の話から浅田さんの話などをしたことがあるのですが、そしたらその話がだんだんと伝わって、小学校の校長先生から小学生の生徒にも話してくださいと依頼がありましてね。小学校の教科書では1回か2回は戦争に関わったものが掲載されているのですが、小さな女の子がまだ子供の頃、お父さんが戦争に万歳をして送られて行ったまま帰って来ない。その女の子が結婚して家庭を持ち思い出のようにそのことを書いているわけです。そのような風景とかそういう社会環境とか、今の小学校の先生は40代50代なので知らない訳ですよ・・・・。

それで戦争の話を、小学生に聞かせて欲しいという事で、先日、白似田小学校の4年生23人にうちに来てもらってこの囲炉裏を囲って話しをしたのですが、それがとても素晴らしくて、その小学生から色々と質問を受けたのですが、なかなか鋭くて、すごく良い質問なのですよ。今の子供達は、こんなに平和だから戦争のことなど全く考えていないと思っていたのですが、そうではなくて、結構この付近の子は平和問題とか原爆の事で集会とか色んな話があるらしく、戦争ということはかなり皆考えていると思いました。「何で日本は戦争しちゃったんだろう?」とか「アメリカの方が強いに決まっているのに・・・。」とかそんなこと言ったりしてたから、「日本も日露戦争というのをしたんだけど、世界最強のロシア帝国を負かしたことがあるんだよ」っていったら「へぇー、そんなこともあったのー!」って言って 日露戦争の発端も知らなきゃ、もちろん日清戦争も第一次世界大戦もほとんど知らない訳ですから「えーっ、日本そんなに強かったんだ・・・!」なんて言うような率直でとっても皆良い子でね・・・。僕の方がとても勉強になるような感じで、1時間の予定のところが1時間半にもなりまして…。


この付近の子は礼儀正しく座って、話す時は立ち上がって、そして終わったら代表がお礼を言って、それはそれは昔の子供達と一緒でしたね。とても礼儀正しくて爽やかな時間でしたよ。小学生の彼らと私はちょうど70年年齢が違うのですよ。彼らは9歳くらいですよね。僕は79歳だから。私と祖父は、だいたい70歳ちょっとの年の差がありまして、弘化4年ペリーが来た時に祖父は6歳だったそうです。だから江戸幕府の人の話を祖父からよく聞かされていましたので、今の小学生が戦争の話を私から聞くというのは、私が祖父から話を聞かされた時と同じようなものですよね…。

内海:その当時は西彼町の今の生長の家がある場所で自動車学校をやっていましたので、この辺は送迎バスで私もずっと周っていたのですが、その当時の私は全然景色を見ていませんでしたね・・・。(笑)

池田:人というのは、見ているようで、その心が何処にあるかで全然見方が違うんですよね。だから何でも見ているようで全然見ていないということがよく解りましたよ。ここに来てから木々の毎日の表情とか季節の移り変わりだとかを見て「いやぁ、皆一生懸命生きているんだなぁー」と思うんですよ。


ゴキブリをポンと叩いてショック死というか、まだ生きているんだけどそいつを捕まえて海に投げると途中で目を覚ましてバタバタと逃げるんですよ。でも力尽きて海中に落ちるでしょ、落ちるとフグがばぁっと集まって来てあっと言う間にあんな大きなゴキブリを食べちゃうんですよ。全部自然のものだから自然に返すようにしています。食物連鎖ですね。蝿がけっこういるのですが蝿叩きで蝿を叩いて置いておくといつのまにか蟻が列をなして自分の何倍もの大きさの蝿を運んでいくわけです。蟻にとっては大変な食料ですよ。だから、蝿も叩いたら蟻に返すようにしています(笑)でもそのうちに蝿が生き返ったりもするんですが・・・。
でもそういうのを見ていると、死骸でもなんでも土に戻るし他のものも食べて栄養にしているそういう食物連鎖もここにいるとよく解るんですよ。

内海:私の家も結構山の中なので図鑑でしか見たことのないような初めてみる生き物が沢山いますね…。初めは怖いのと、なんだろう?みたいな目で見たりとかしていましたけど、今は私達がそう考えるのではなく向こうが先輩なんだからと思うようになり愛着がわくようになりました。だから、先生のお話をお伺いして先生はこの土地を心から愛していらっしゃるんだと思いお聞きしていました。

池田:自然を見ていると自然とそうなりますよね・・・。

(次週につづく)


朝永のつぶやき

最後まで読んでいただきありがとうございます!ここからは今回のトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです♪

今回は池田様の大村湾との出会いや、ご自身が体験した戦争について、自然のことなどをお話してくださいました!

トークを読んでいて、普段何気なく見ていた景色をしっかりと見つめることで、その魅力や美しさに気付くことができるということが読んでいてとても心に残りました。


次回掲載する後編では、ハウステンボスについての内容を掲載いたします!

いいなと思ったら応援しよう!