色んな経験から得たもの 対談者:コスモスグループオーナー 岡本 堅吾様
皆さまこんにちは!ヒューマングループnote 編集担当 朝永です(^-^)
今回のヒューマントークは、長年飲食サービス業をされているコスモスグループ オーナー 岡本 堅吾様をゲストにお迎えしたVol.17をお送りいたします!
まずは弊社社長 内海と岡本様の現在の交流をご紹介いたします!
青年会議所の先輩で、私が知る限り岡本さんほど豪快で、人に優しく、お酒に強く、そして仕事に厳しい方はおられません。男が男に惚れる・・・ぐらいすばらい先輩です!
今ではフェイスブックでお互いに情報を共有させていただいてます。どの記事をみても笑顔一杯で、イキイキされている様子を拝見するとこちらも嬉しくなるから不思議ですね(笑)
※対談の本文は、2007年2月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。
色んな経験から得たもの
<ヒューマンニュースレターVOL.28(2007年2月発行)より転載>
コスモスグループ オーナー 岡本 堅吾 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲
今回のヒューマントークは北九州小倉北区に本社があります、コスモスグループオーナー岡本堅吾様にご登場いただきました。岡本様は、40年以上も飲食サービス業をされており、風々ラーメン、桜吹雪が風に舞う、威風堂々などラーメンのフランチャイズ本部のオーナーであり、果樹園「森の風」のオーナーでもあります。今回は福岡県築上郡上毛町の果樹園「森の風」にあります和風創作料理「ふたり静か」でインタビューさせていただきました。
内海:青年会議所を通して、岡本オーナーを知り、その後、イエローハット相談役鍵山秀三郎様の会でご一緒させていただいてから、お付き合いさせていただいておりますが、岡本オーナーのプロフィール、ビジネスライフなどのお話を聞かせていただけますでしょうか?
岡本:僕が飲食業に入るきっかけになったのは、父親の影響です。僕の親父は物心ついたときから高校3年に至るまで、1年に2回僕らと一緒に飯を食べればいいほうだった。とにかく仕事と遊びに没頭していて、子供心にこんな親父は最低だとそう思ってました。
高校卒業して、6月だったと思いますが、東京の新宿のビヤガーデンに親父と一緒に飲みに行った事があって、ビールを飲みながら、親父がとても魅力的に見えたんです。タバコ吸っても、ビール飲んでも、笑っても、しゃべってもみんな素敵に見えたんです。初めてあんな親父を見たんです。その時に、親父のやる事を、後々継ごうと心に決めたのです。それからですよ、学校行かなくなったのは(笑)。
働いていないという職種がないほど働きました。働く人の気持ちがわかるというのが大義名分だったのですが、実は、お袋と口喧嘩してしまって、大学1年の9月から仕送りゼロですよ(笑)。だから、大学の授業料もアパート代も全部自分で稼いだんです。そういうことで、働いたというのもあったのですが、親父の魅力にはまったというのもあって、新宿のキャバレー、喫茶店、デパートの売り子、家庭教師、地下鉄の工事等々色々やりましたね。名目は働く人の気持ちを知るんだと言ってたんですけど、そんなもの嘘っぱちですね、働く人の気持ちを知るために働くという生意気な働き方では何の為にもならないです。
大学4年のころ僕は、100人近い人間を食客として養っていたんですよ。うちのアパートの押入れや戸棚には、アメ横で買った安いインスタントラーメンがずらり置いてあるんです、ラーメンの歴史が全部わかるくらい僕は覚えていますが(笑)、金が入ったらアメ横で安いラーメン買って、アパートに置いておく。そうすると友人がドンドン家に来るんですよ。「酒飲ませろ、ラーメン食わせろ」とか言って・・・。ちょうどアパートの1Fが居酒屋だったので、安い500円のウィスキーをツケで飲んで、酔っ払ってみんなと肩組んで大声で歌う・・・そんな風に学生時代を過ごしていたのが、僕の飲食業へのスタートだったわけです。
卒業するかしないかのときに、小倉の地下に、ゴーゴークラブをオープンしてそれがヒットしたんですね。120坪くらいのお店だったんですが、女性は1ドル360円、男性は2ドルで、フィリピンのバンドを雇って、当時は珍しかったんですね。正月などは1000名超えていましたね。大繁盛でした。そういったことで、東京行ったり、大阪行っては新しい情報を集めて、当時は今みたいに双方向でニュースが飛び交っていなかったから、東京でニュースを拾ったら勝ち組に入るわけですよ。だけど何と言っても人に喜んでいただくのが嬉しくてね。上手くいかない店を安く買収してそれを改装して、業種業態を変えてオープンする。そしてバーンとヒットを飛ばす、親父も僕もそれが快感だったですね。
ディスコフェニックスは、北九州小倉の若者の文化が変わったというくらいの評価をいただいたんですよ。なぜ変わったかというと、店に雪駄履きとか剃りこみいれたチンピラみたいな若者が入ってくるのですが、そういう方を一切入れなかったんです。ところがチンピラのアンちゃんたちも繁盛している店だから入りたいんですね。「兄ちゃん、入りたいなら靴履き替えておいで…」とか言って、随分叩かれたりもしたんだと思いますよ。それで充分文化が変わったんですよ。充分貢献しましたね。
実はその1年ほど前にレッドスコーピオンという格好いい名前のお店を同じ場所でオープンしたんです。それが半年で潰れたのですよ。暴走族の溜まり場になって。あのときは2億損しましたね。それでどうやったら潰れないディスコができるのか勉強して、フェニックスを作ったんです。また「ケントス」というお店をやったり、「カラオケ室ポパイ」、「ひゃくしょう茶屋」とか「村一番」とかそういうのも作りました。とにかく僕は、お客様がエキサイトして、ニコニコ笑って喜んで、本当に楽しそうにしているその姿が見たい、その一心で仕事をしていたように思います。結局30代はたくさんの借金を作ってしまってかなり苦しみましたね。土地を売ったり、店舗を売ったりで結局何にもなくなって、それから風々ラーメンをやり始めたのです。
いろんなことをやり、これからスタッフの社員研修所でも作ろうかなと思っていたとき、この果樹園に出会ったのです。よくよく見ても何もなかったのですが、2月に来たら枯れ草だらけだったのが、3月に来たら梅が咲いていて、4月は桜、5月はつつじ、山藤が咲いてて、それでもう、度肝抜かれたんです。桃源郷じゃないかと。秋になると柿ができていて、この自然の美しさに感動して買うことにしたのです。15万坪ですよ。荒れ放題だったのですが、もみじとかイチョウとか植えて、春夏秋冬四季のうつろいを感じるようにしました。
実は、資金繰りの問題から、とにかく色々とやりっぱなしやってきたし、多額の借金もあったしで、家内にはかなり苦労かけました。だから家内と二人でここで静かに暮らそうということで、この果樹園を買ったんですよ。毎年寒い冬を乗り越えて梅が咲くんですね。自然があまりにも美しすぎるので、この世界を二人のものにしていては、これはバチがあたるということで、レストランを作ったんです。だからレストランの名前を「ふたり静か」という名前にしたんですね。ところが豆腐料理を作ったところ、大変好評だったものですから、次に「かなかな」という洋風のレストランを作ったんです。そうこうするうちに結婚式をしたいというお客様から希望があって、僕はブライダルにはまったく経験がなかったから新郎新婦、プランナーの方にお任せして、自由な結婚式をたくさんの方にしていただいたんです。見ていると毎回涙がでてくるんですよ。結婚式ってこんな素晴らしいものなのかって感動しましたね。結婚式に集まってくる人100名中100人がみんなニコニコしてやってくる。おめでとうといってくる。そして乾杯といって昼間であろうがお酒が入るんですね。新婦が花束贈呈で涙を流す。決まり文句でもみんな泣くんですね。打ち上げ花火をバーンとサプライズで上げたりして、ブライダルには、感動場面作りがたくさんあるってわかったんです。嬉しくって楽しくてたまらない、そういった世界を作っていく、これは飲食業の極致であると思いました。
こんなハッピーな園はないですね。
内海:岡本オーナーが飲食業を始められたきっかけから、森の風が展開するまでのお話しを伺いましたが、途中ご病気をされたりいろんなことを経験をされてきたと思うのですが、最近では京都に行かれて能をされたり、文化や人を喜ばせること、そういう考え方とか行動になる元というのは何でしょうか?
岡本:やはり父親ゆずりでしょうか?特性として、生まれたときから持っていたものかもしれないですね。それとあとは自分が死ぬかもしれないという体験を5回していることでしょうか。一つは3~4歳のころにかかったジフテリアという病気、それから火災事故が起こった赤坂のホテルニュージャパンで、あの火災の日に泊まる予定だったのですが、直前に九州に帰って難を逃れて、でもうちの事務所がこのホテルにあったので、慌てて東京に行くためにと飛行機を予約したのですが、この予約した飛行機が羽田沖で墜落、ちょうど乗れなかったので助かりました。
それと大腸がんになったことですね。10cmの末期がんだったんです。生命力を強くしたらすべての病は治るという発想で完治しました。それから最後は、風々ラーメンを作るときに、東京の友人と京都でラーメンを食い歩きして、次の日は神戸に行く予定でした。ところが、理由はなかったのですが、なんだか九州に帰りたくなって、東京の友人を連れてそのまま九州へ帰りました。北九州で飲んで食ってウワーと盛り上げて騒いでいたんですよ。翌朝その彼が、「いやぁ北九州も地震があるんですね」なんて言うんですよ。「??」。テレビをつけたら、阪神大震災が起こっていたんですね。ホテルの8Fに泊まっていたから北九州でも揺れたんでしょう。本当にびっくり仰天して、あのまま神戸に居たら・・・。僕は命の恩人になったんですね。
それからですね、今このときをいかに集中して生きるかみたいなことがいつの間にか、身についてきたのかもしれないですね。
岡本 堅吾様プロフィール
[コスモスグループ代表]
*リズム食品株式会社 福岡県北九州市小倉北区鍛治町
(風々ラーメン、桜吹雪が風に舞う、威風堂々、社員教育研修)
*株式会社果樹農園森の風 福岡県築上郡上毛町大字東上
(森のレストランかなかな、和風創作料理レストランふたり静か)
*株式会社トータルサービス福岡 福岡県北九州市小倉北区竪町
朝永のつぶやき
最後まで読んでいただきりがとうございます!ここからは担当が今回のトークを読んだ感想をまとめたミニコーナーです(*^-^*)
今回のトークでは、岡本様が飲食業を始められたきっかけから、人を喜ばせることへの原動力をお話していただきましたね。
お話を読んでいて”自分が死ぬかもしれない”という体験を5回もされていたという部分にとても驚きました!
自分の死に直面するようなことってなかなかないですよね・・・
しかし、そんな体験をされてきたからこそ最後の”今このときをいかに集中していきるか”という言葉の説得力を感じます。
私はまだまだ20年と少ししか生きていないので人生についてあまり意識することはありませんでしたが、だからこそ”自分の今”について考えてみるいいタイミングかもしれないと思いました!(^o^)
それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう!
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