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えんぴつは便利で楽しいツール 前編 対談者 株式会社ペンシル 創業者 覚田 義明様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote 編集担当 朝永です(^o^)/

ヒューマントーク、今回のゲストはWEBコンサルティングをされている株式会社ペンシル 覚田 義明様です。

今回は前編・後編と2週に渡ってお送りいたします。前編では、どのようにして株式会社ペンシルをはじめられたのかをご自身の経験を踏まえながらお話していただきました。

まずは、弊社社長 内海と覚田様との出会いからご覧ください!

覚田さんとの出会い

福岡の会合(九州自動車学校経営者の会)で講師にこられたのが、覚田さん(ペンシル社長)でした。

インターネットマーケテイングの話に大変興味をもち、翌日もっと話を聞きたいのでお会いできませんかとアポをとり、即会社を訪問。

さらに興味ある話を聞き、今からのマーケテイングはインターネットの媒体で進んでいくのだな~と刺激と学びを受けました。

覚田さんも私に興味をもたれ、相互理解で家族ぐるみの付き合いが始まりました。覚田さんの奥様の実家が教習所を経営されていることで、更につながりが出来てきました。

※対談の本文は、2006年10月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。

えんぴつは便利で楽しいツール 前編

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<ヒューマンニュースレターVOL.27(2006年10月発行)より転載>

株式会社ペンシル 社長 覚田 義明 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

今回のヒューマントークは福岡でインターネットコンサルティングをされている株式会社ペンシル 社長 覚田義明様にご登場いただきました。

内海:初めてお会いしたのは今年の4月で、ちょうど半年経つわけですが、覚田社長との出会いをとても嬉しく思っています。今日は、覚田社長とペンシルという会社がどのようなお仕事をされているのかを皆さんにご紹介したいと思います。
まず、覚田社長の仕事について教えていただけますでしょうか?

覚田:はい、ペンシルを簡単に説明するとホームページ制作会社です。しかし、ただホームページ(HP)をつくるだけでなく、クライアントの要望に応え、戦略的なHPの企画、制作、運営を行っています。ネットを最大限に活用し、例えば人材を集めたいという会社に人材を集めるお手伝いを、売上をあげたい会社は2倍とかでなく、最大で10倍~60倍という売上をあげた実績もあります。クライアントから上場が早まったという喜びの声も頂いています。
今流行のIT企業にみえますが、自分たちが上場したいというのではなく、クライアントのWEB戦略に貢献し、クライアント様の発展や上場のお手伝いをしています。創業12年目になりますが、1人で始めた当社もスタッフが60名を超え、売上133%と急成長しています。

内海:ペンシルという名前はおもしろいですね、どういう想いでつけられたのですか?

覚田:そうですね、僕はえんぴつはすごいツールだと思っているんです。真っ白な紙の上にえんぴつが転がっていると、なにか落書きしたくなりませんか?えんぴつにはそんな不思議な魔力があります。そしてえんぴつには説明書がない。
これは使いやすいということを示しています。コンピュータにはぶ厚いマニュアル書がついています。ということはわかりにくいってことなんですね。そして、えんぴつには保証書がありません。コンピュータには保証書がついていますね。これはコンピュータは壊れるということなんです。そしてコンピュータには必ず日本語版、英語版がありますね、えんぴつは日本語版も英語版もありません。様々な形があってもその使い方はどれも同じ。使う人の職業、国籍、年齢も一切問わない、まさに全世界共通の最高に洗練されたツールです。
えんぴつで絵を描くこともできるし、音符を書けば音楽を奏でるし、図面を描けばそれが建物になってビルができる。僕はテクノロジーの最先端に立つコンピュータこそ、えんぴつのように簡単で便利で楽しいツールでなくてはならないと考えています。そういう想いから、ペンシルという会社名を考えたんです。

内海:なるほど、そもそもどうして会社をたちあげられたのですか?

覚田:僕の両親は、大阪で建築業の仕事をしていました。僕は長男として生まれたので、跡を継ごうと小さなときから思っていたんです。そのために建築科を出て、数年間建築業の修行して家に戻ってきました。しかし、本当に自分がやりたいことは違うのではないかというふうに思い始めていました。そこで家業を継ぎながら、やりたかったコンピュータの勉強を始めました。跡継ぎということでお披露目パーティをやった後にもかかわらず、自分がやりたいことはやっぱり違う!と確信しまして、父にアメリカに2週間程視察に行かせてくれと頼みこみました。そして実際にアメリカに行って、研究所や大学を回ってコンピュータの最新技術を見て、「やっぱり自分が勉強をしてきたことは間違いじゃなかった」とわかってコンピュータの世界に行く事を決心しました。その時にチャンスを与えてくれた両親にはとても感謝しています。

日本に帰ってきてからも、色んな大手の研究所を回ったのですが、その頃自分が勉強しているコンピュータの理論が日本ではまだ受け入れられなかったんです。誰も理解ができないんですよ。日本はコンピュータが10年以上遅れていましたからね。その頃福岡にすごく進んでいる会社を見つけたんです。何度も挑戦して3度目の面接で入社することができ、大阪をでて福岡に来ました。
当時、僕はコンピュータにはかなり詳しいと天狗になっていたのですが、入社してみるともっとすごい人達がたくさんいて、井の中の蛙だと思い知らされました。でもそこの社長が僕にチャンスと環境を与えて下さって、気がつくとコンピュータの世界で講師をするまでになっていました。それ以外にも色々な部署をまわらせていただきました。
開発をしたり、企画をしたり、また営業をしたり、おかげで最終的にその社長の秘書になっていました。

1990年、そのときの僕は環境もチャンスも人から与えられているばかりだと気付き、そして思ったんです。「いつか与えられる側になりたい」と、今の僕にはできないけれど10年後の自分にはきっとできる。2000年になったら学校と研究所を作り今度は僕が与える側になっていたいと決心しました、そしてプロジェクト計画をたてました。
それから一生懸命働いて、ふと気がつくと1995年になっていました。過去の5年間自分がやってきたことを顧みると、あと5年経ってもきっと学校や研究室はできないだろう、だから今やっていることから大きく変わらないといけないという風に思いました。そこで一大決心でお世話になったその社長の会社から離れてみたのです。

独立する時、恩返しがしたいとお世話になった社長に言ったら、「私に恩返しをする必要はない。私は君に何かを与えたと思ってないけれども、もし与えたとしたら私に恩返しするのではなく、今度は君が次の世代に与えればいい」と言われました。
そこで、僕は社長に与えられたことに感謝して、その恩返しを福岡でやろう、チャンスと環境を与えられる会社を福岡でつくろうと思い福岡で起業しました。

内海:会社を始められたのが1995年ですか? 創業の時はお一人だったのですか?

覚田:そうですね。独立しようと思ったとき、通帳には実は600円しかなくって、会社が作れなくて困っていました。
そのころ、会社を設立したら頼もうと思っていた税理士の先生に相談していたのですが、その先生がいうには、休眠している会社があるのであげるよといわれて、その会社を無償で頂いたのです。
また、僕は会社に高性能のデジタルコピー機がほしいと思っていたのですが、リースが通らなくて困っていたところ、なんとゼロックスの営業担当の方が保証人になってくれまして、その方はコピー機を売りにきたのに、僕の考えが面白いといってリースが通らなかったのに保証人になってくれたんです。
最初自宅の6畳一間の部屋にパソコンやコピー機などを置いて会社を始めましたが、でもそこの家賃も払えなかったので、部屋の机とスペースを他の人にいくらかで貸したりしていました。六畳一間からのスタートでした。

内海:覚田社長の事業ビジネスプランに魅了されるものがあったのはもちろんですが、やっぱり覚田社長の人間性に周りが応援してくれたということですね。

覚田:そうかもしれませんね。 ビジネス戦略とかビジネスモデルの前にスピリットが大事だと思うんですよ。
戦略というと儲かるしくみを考えなければいけないけど、それよりも大事なのがスピリットやコンセプトです。どう生きて何を残すのかというところだと思います。そのへんは思想が高かったのではないかと思います。
でも実は、最初は月6万しか売上がなかったんです。スタートは悲惨でしたね。

内海:どうやって売上をあげていったのですか?

覚田:HP制作の売上を大幅にあげるためには、大きな問題が二つありました。それは「実績」「価格競争」です。
一つめの実績についてですが、実績がないと仕事をもらえない。そして仕事がもらえないと実績ができないという悪循環です。この悪循環から抜け出すことは非常に大変なことです。
例えば、大手企業の何十億の売上のHPを作らせてもらうようになるためには、実績が必要です。「以前にHPを作ったことがありますか?」と聞かれる訳です。中小企業のHPしかつくったことがないと、大手企業のHPは作らせてもらえないのです。
あともう一つは価格競争です。HP製作会社が増え、制作費用が安くなっていくのです。一緒の波にのってしまうと売上をあげても利益でないという価格の問題がありました。

内海:どうやってこの二つの問題を解決したのですか?

覚田:実績がないから大手のHPの仕事は請けられない。これは信頼がないということです、更に安くしか請けれないというのは知名度が低いからだと思います。信頼や知名度というのは今でいう「ブランド」ですね。
これらをどうやって打破しようかと考えて、そしてできたのが福岡の検索サイト「福岡WEB」です。福岡の会社とかお店を紹介するホームページで、今でいうYAHOO!みたいなものです。地道にコツコツつくっていると、九州で一番アクセスが多いWEBになり新聞に紹介されたりして、それで名前がちょっと売れたんですね。
そこでこれがペンシルの実績となりました。そこで、福岡の大手会社の中で一番で、いいなと思っていた「ふくや」の社長に会いに行ったんです。
そうしたら社長が「頑張っているんだね、応援しているからホームページを作ってごらん!」というお返事をいただいて作らせてもらうことになりました。そして、これが本当の実績につながっていきました。

次の問題は価格競争です。そのころはHPの価格がドンドン安くなっていました。これは何か解決しないと、売上があがっても利益がでない。そして、今後益々価格競争になり同業者と衝突すると思いました。どうやったら衝突を避けれるか僕らしい解決方法って何だろうなと思ったときにある考えに至りました。
僕は、オーディオとか車が好きで、いいものを買いたいといつも思っています。安い商品は大量生産され値引きされていますし、さらに他社との値引き合戦となっています、しかし、いい商品は値引きがありません。ブランドのしっかりしているものは値引きせずに定価で売っています、そして宣伝をしなくても売れている商品があります。
そこで僕が作るHPはこのような付加価値の高いブランド力があるものを作ろうと考えました。


覚田 義明様プロフィール
株式会社ペンシル創業者
1995年「株式会社ペンシル」設立。通常のWEBサイトから戦略的WEBサイト、番組的な高アクセスなポータルサイトなどコンセプトワークから、調査・企画・提案・開発・制作・運用・プロモーションまでトータルにコンサルティングを行う、インターネットコンサルティング会社として今日に至る。


CONCEPT
真っ白な紙の上にえんぴつが転がっていると、なにか落書きしたくなりませんか?えんぴつにはそんな不思議な魔力があります。様々な形や色があってもその使い方はどれも同じ。使う人の職業、国籍、年齢も一切問わない、まさに全世界共通の最高に洗練されたツールです。私たちは、テクノロジーの先端に立つコンピューターこそ、えんぴつのように簡単で便利で楽しいツールでなくてはならないと考えています。


朝永のつぶやき

最後までご覧頂きありがとうございます!ここからは、編集担当がトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです(^-^)

日頃、HPの制作やLINE公式アカウントなどWEBに関する業務を行っているのでタイトルの時点でどんなお話をされたのかとワクワクしていました。

覚田様がコンピュータの世界に進まれた経緯や、”実績”や”価格競争”の解決策など勉強になる部分がたくさんありましたが、前編を読むなかで私が一番心にとまったのは、社名の由来となった”えんぴつ”に関するお話です。

えんぴつはどんな職業、年齢、国籍の人でも同じ使い方ができる・・・今まで一度も意識したことがありませんでしたが、確かにそうだ!と思いました。

「どんな人でも使いやすい、わかりやすい。」ことを意識することが”えんぴつ”のように長く愛され使われるツールやデザインを生み出す秘訣かもしれませんね♪


来週は後編をお届けいたします。それでは、また来週お会いしましょう!

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