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時間がかかることがよくない世界

先日、このnoteの読者の方から、「わたしも浅倉さんのように『自分が考えていることを書く』ことに興味があるけれども、どうやればいいかわからない。つい、自分の考えよりも先に、世の中に必要とされていることを考え伝えたくなる」という主旨の感想をいただいた。

「ですよね。『自分の考えよりも世の中ニーズ』ですよね。だから優れたお仕事をされていらっしゃるんですよね。」と納得しつつ。フィードバックをいただいたことで、「自分が考えていることを書く」ってやはり価値があるのだなと嬉しくなり、よりいっそう、頭の中にあることを紐解いて文字にしていこうと思っています。

今日は、お金・時間・能力の価値構造の面で、私がこの世界をどう捉えているかを書いてみます。

何ごとも時間がかからないほうがいい

金融資本主義に身を委ねると、時間がかかることを敬遠するばかりになる。金融の基本は、お金を元手にして速くたくさんお金を増やすこと。増えるのに時間がかかると、そのぶんだめになるリスクが上がるから、何ごとも時間がかからないほうがいいということになる。

なんでもたくさん扱うほうがいいのも理由は同じ。たくさんになれば、確率の概念が成立する。確率の概念が成立するとリスクが計算できるから、お金を元手にしてお金をふやすのに好都合だ。

お金を元手にしてお金をふやす営みが土台になると、その土台の上でうまく立ち回れる人間が重宝される。高偏差値・高学歴の意味のひとつは、決められた時までに人よりも大量の知識を詰め込み、はやく整理して出力できる能力がある証明だ。はやくたくさん。つまり学歴社会とは、時間あたりの情報処理量が多いことが評価される社会であり、お金を元手にしてお金をふやす営みと価値構造が符号する。

金融資本主義と学歴社会が表裏一体となった世界では、「はやいこと」「多いこと」「わかること」が重視され、「おそいこと」「少ないこと」「わからないこと」は無視される。これが、わたしが生まれ落ちた世界の基本構造だと理解している。

小学生の受験生が親から「いいからはやく、そのドリルやっちゃいなさい」と言われる世界は、そういう世界だ。

::: ここから話が変わります。

長文を書くには時間がかかる

冒頭のやりとりから1週間ほどの間、いただいた発言についていろいろなことを考えた。そして、「自分の考えよりも先に、世の中に必要とされていることを考え伝えたくなる」かたにこそ、「自分が考えていることを書く」ことをしていただきたいと思うに至っている。それはなぜか。

今、ひと昔前にはなかったブログやSNSという公衆広場が、個としてのコミュニケーションの場として、または商売や営業や自己顕示欲を満たす場として存在している。この公衆広場では、「(比喩としての)脱ぐ」ことで公衆の耳目を惹きつける手法が成立する。有料メディアでは編集機能やチェック機能が働くけれど、公衆広場にはそれらがないからだ。結果として、中身は大したことがないのに「脱いでいる」という事実だけで「勇気がある」「面白い」と評価されてしまう人の存在が、不用意に大きくなりすぎていると思う。どうやら私は、そのことをくだらなく浅ましく思っていたようだ。

だから、脱ぐだけの人よりももっと、「自分の考えよりも先に、世の中に必要とされていることを考え伝えたくなる」と思う真っ当な人物の頭の中がもっと表に出てほしい。

そして、まさにそれをしようとしているのが、noteという公衆広場なのではないかと気付いた。長文がメインのnoteには、脱ぐだけの人はいづらい。長い文章には、考えていることの背景にある知識や経験の深さ・思考の密度が露呈するから。また、長い文章を書くという行為には、facebookやtwitterに短文を投稿するときよりも論理の綻びに対するセルフチェック機能が働きやすい特徴がある。

::: ここで話が戻ります。

ただし、長い文章を書くのには時間がかかる。(中身がある人にとってはなおさら)
私たちは、時間がかかることが敬遠される世界に生きている。
だから、インスタントな自己表現やコミュニケーションが可能になった公衆広場は理に適っている。だけど、その結果は上述した通り。

私はこれから、金融資本主義にからめ取られているSNSでの交流と、「意識的に自分の考えを書く行為」を意識的に区別をしようと決めました。
大事なことはnoteで読み、書く。
facebookでは、日々のことを読み、書く。
大事なテーマがインスタントに書かれているものには反応しない。

そして、中身があるけどわざわざ時間をかけて頭の中を文字にしない人が、どうしたらそれができるのかを研究テーマにしてみたいと思う。仮説だけれど、もとが理系の人は文字化から遠い気がする。数式くらい整理して証明しないと表に出せないと思ってるのかもしれない。

今日のところはこれで締めます。

追記)SNSで脱ぐだけの人は全面的に否定していますが、金融資本主義と学歴社会については自分が住む世界の仕組みとして受け入れています。


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