
2拠点もいいけど、1拠点て最高かもしれない。
沖縄と東京の両方の拠点所在地を記した名刺を差し出すと、「沖縄ですか、いいですね〜」と必ず言われる日々を過ごして5年経った。
どちらもを、定期的に相対化できること。そのことで、明らかに違う2つの社会、両方に家という名のプライベートな居場所を持って、比べることで見えてくる両方の「特色ある美点」を、絶えず見つけられること。
退屈が何より怖いわたしにとって、このメリットは、得難いものです。
コロナ禍での1拠点生活で気づいたのは、この、2つの軸を設定することで両方のよさがわかるっていう話には無限の相似形があるということ。
1拠点生活をするしかないから、1拠点生活をしていたら、1拠点生活と2拠点生活、両方の特色ある美点がわかったのです。
1拠点生活は、移動の金銭的・体力的ロスがない。
「いる」がデフォルトなので、冷蔵庫に食材を買い込めるし、ちゃんとまわる。そういうものだと思えば、飽きないし、そもそも好きで選んだ場所のよさをじっくり堪能できる。土地の持つ旨味が、からだにしみてくる感じ。
2拠点生活は、気晴らしができる。定期的に飛行機に乗って、日本語が通じるって以外は何もかも違う文化圏にいくことは"ナチュラルトリップ"で、生きてるとどうしてもたまってくる思考の垢みたいなものをリセットできる爽快感がある。
どちらも、いい。どちらでも、いい。
強制的に1拠点になったことで、1拠点のよさがわかった。
こういうことってわりとあるんじゃないかと思う。