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大きすぎるぐらいの夢がちょうどいい
もうあまりよく覚えていないのだけれども、28歳のわたしは、大企業から独立することをとても大げさに考えていたような気がする。壮大な志のようなものをたぎらせて、ひとり自由に、会社の都合に合わせることなく、信念にあった仕事だけをして生きていきたいと思ったのだ。そういうのを、若気の至りと呼ぶ人もいれば、ただのわがままと呼ぶ人もいる。他でもない。干支がひとめぐりして大人になったわたしがそう呼ぶのである。
干支がひとめぐりした今思うのは、もっと大きな夢を描いておけばよかったということである。
ひとり自由に、会社の都合に合わせることなく、信念にあった仕事だけをして生きていきたい、という夢とも願望ともつかないわがままは、叶ってしまっている。もちろん、本当にいろいろなことがあったし、そのときどき必死だったのだけれども、なんだかずいぶんあっさりと、叶ってしまったのだ。
叶うと、暇だ。もちろん、働かずに生きていける身分ではないので、現実世界は暇ではない。だけれども、精神世界とでもいうべきか、28歳で壮大な志のようなものをたぎらせていた側の世界が暇なのだ。
だから、思う。大きすぎて、到底、叶いそうもないような夢を描けばよかった。もっというと、「人と自然が大切にされる社会をつくる」という壮大な志に見合った夢を描けばよかった。そうしたら、40歳で暇になることはなかったはずなのだ。
気づいたので、今、描いている。
死ぬまでに到底、叶いそうもない、大きすぎる夢を。