私は、こちらの記事で、尾城太郎丸について以下のように推定した。
ここで私は、尾城を1930年代末の生まれだと推定している。しかし、この推定が誤りであることが判明した。三田評論に尾城を追悼する記事が掲載されており、1925年ほどの生まれだということが確認できた。
この記事が掲載されたのが1997年なので、尾城は1996年に71歳で亡くなっている。すると1925年ほどの生まれになるのだが、これは旧制高校を卒業したころに敗戦を迎えた世代である。見田宗介が言うところの、「一次戦後世代」に属することになる。
これは本文でも掲載したデータだが、「第一次戦後」と「団塊」の社会意識の差異は、基本的には後の世代間の差異よりも大きい。団塊世代は、大学闘争の世代であるが(もちろん団塊世代のすべての人々が大学闘争に参加したわけでは決してない)、彼らは戦争世代や第一次戦後世代に対して異議を唱えたわけである。だからこそ、第一次戦後世代であるはずの尾城が、団塊世代のエリートである東大助手共闘と社会意識を共有していることは、なかなか奇妙な事態に見える。
尾城が団塊世代のエリートたちと社会意識を共有していることは、ここでは彼の個人的な資質によるものだとしておこう。最後に、三田評論の追悼記事からいくつか引用する。