一生残る後悔
俺は人生で沢山の失敗や困難、ろくな目に遭ってこなかったが後悔したことは殆どない。
事実、俺にまともな選択肢はなかったし、全てクソみたいな選択肢の中から選んできた。もちろんハズレくじ。
そうやって全てハズレのインチキゲームをやらされてきた結果が基本的には今の俺なんだがそこに後悔はない。
自分で望んで選んだわけではないから、俺に否はないからだ。だからある意味心は比較的楽ではある。
人生とは初めから自分で選べないものばかりで人生は決まるし、限られた選択肢や判断材料から選ぶしかない。どれを選んでも蓋を開けてみるまで結果は分からないし、分からなくても決断の時は迫られる。
そして人によって選択肢や判断材料は違う。中にはどの選択肢をとってもハズレくじの場合もある。
情報技術のあの表を思い浮かべてもらうと分かりやすいかもしれない。
そして最近、一生後悔が残るであろうことをやってしまった。これは完全に俺のせいだ。
7月に母方の爺ちゃんがなくなったらしい。縁を切ってたはずの母親からどうやってか連絡が来た。母は「最後の別れだから」とわざわざ俺に連絡をくれた。
しかし俺は結局行かなかった。いや行く勇気と力がなかった。
家族親戚一同と縁を切って約1年半。どんな顔して顔を出せばいいのか分からない。
それにその時期は仕事が決まらなくて、2日に1食しか食えず基本腹が減ったら水で膨らませる。ジャガイモを生で齧ってた時期だ。そんな状態で行く勇気がなかった。この期に及んでメンツが潰れるのが怖かった。葬儀の金や他、香典も包めない情けない自分を見せるのが怖かった。
その時は俺は心の平常を保つために「もう俺は他人だから」とか「一度出ていった人間が戻るのは男らしくない」とか考えて無理やり自己弁護した。本当に俺はゴミだ。
惨めで惨めで仕方ない、いっそあの世に俺もついていこうとも思った。
事業に失敗して借金を負い仕事も決まらず極貧生活やってたタイミングで起こったことだが。
今回は今までの人生とは違い、チャンスも判断材料も十分にあった、しかし自分の下らんプライドとメンツ、金が無い力不足により行けなかった。
この後悔は一生残る確信がある。本当の意味で自分で選んだ選択の間違いだからだ。
どんなに惨めで情けない姿でも行けばよかった。きちんとお別れをしたかった。
もう俺は出ていった人間で縁を切った他人だ。だけど思い出は生き続けているわけでやはり未練は残る。一生残る。火葬前にお別れをしたかったな。ある意味、俺の2番目の育ての父親である爺ちゃんを見送ることも出来なくてごめんなさい。
ほぼ毎日爺ちゃんの夢を見る。後悔が無意識領域に入り込み、思い出が変形して夢に現れる。
次死ぬのは婆ちゃんだろうから、それまでに立派になってせめて見送りができるように努めよう。
あと最短2年で人生を中間地点までは持っていく。
そのための計画も用意もしてある。イメージも出来上がっている。ようやく動き出した。概ね順調である。
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