人は殴れば分かる
今の世の中、暴力に対するアレルギーが過剰すぎる。
どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに暴力反対を唱える。
父親にDVされながら育った俺が言うのもあれなんだが、基本的に俺は生まれてから一度も暴力を否定したことがない。
そういう考えになりかけてた愚かな時期はあるが基本的に暴力には賛成している。
というと語弊がかなりあるからその意味を説いていく。
まず暴力には良い暴力と悪い暴力がある。
良い暴力とは自分の正当性や人権、名誉を守るための暴力だ。
例えば、
・いじめられた場合、報復に使う暴力。
・家族や大切な人が危険な目に遭った場合に守るための暴力。
・レッテル貼りやクレームなど不当な目に遭った場合、自分の名誉を守るための暴力。
一方、悪い暴力とは一言で言うと無意味な暴力だ。
例えば、
・いじめでの暴力。
・職場で"教育"と称した不当な暴力。
・あとは女性に対しての暴力だ。
つまり、暴力というのは最終手段であり、それは絶大な効果を誇る切り札なんだから弱い者に使ってはいけない。
しかし相手が強く、何かこちらに実害を与えてきた場合には暴力を振るうべきと良いというこ。
もちろん暴力で物事を解決した場合はこちらが法的に悪者になるという代償を絶対に忘れてはいけない。
もっともこの考えは"強きを助け弱きを挫く"というものから来ており、それなりに物事を分かってる大人に育てられた人は小さい頃に教わることだろう。
俺は子供の頃も大人になってからも物事を暴力で解決してきたことがよくある。
ほとんど後悔はしたことない。全て自分の名誉を守るための暴力だったと今でも思う。
殴られないと分からない奴は分からないし、そんな奴は世の中に山ほどいる。それに最終手段としてそれを行使する他選択肢がない場合もある。
暴力に触れてきていない。殴ったことも殴られたこともないようなやつは"暴力反対"とか言い出す。
暴力の効果は社会をも変える。
革命というのは所詮、暴力によるテロ行為によって人を傷つけたり迷惑をかけたりして成立する。
ネットでは政府に対して文句を言う声が多く見受けられるが、ガチで日本を憂い、世の中を変えたいのだったら暴力革命しか基本的にはありえない。
話をもとに戻すが、暴力は物事を解決する一つの切り札だ。たちの悪いクレーマーのおっさんとか、舐めた態度のガキ、調子に乗ってる若造は痛みで分からせるのが本来は手っ取り早い。
とはいえ暴力というのはあくまで最終手段だが手っ取り早いため相手を殴って分からせようと考えてしまうのは俺の悪い癖だから、一線を引いてエスカレートしないように意識して抑えてる。
すぐにそれを行使してしまったら自分の正当性が自分でも説明できなくなるし、言葉で解決する努力を怠ったことになるから。
今度いつか、自分の名誉を守るために仕事中でも同僚をボコボコにした話をするつもりだ。
まとめると
・俺は生まれてこの方暴力を一度も否定したことがない。
・暴力でしか解決できない場合や暴力が必要な場合もある。
・暴力は手段として非常に効果的であるが、それを行使したら法的な責任や代償が発生する。
・だからそれを使う場合はあくまで最終手段。まずは言葉で解決する努力をしよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?