高校卒業式の数日前、逮捕された話
以前、ブログのどこかで逮捕という出来事を触ったことあったので、その布石回収といきましょうか。
タイトル通り。高校卒業式の数日前、逮捕された話。
全ての詳細を話すことはできない。一部状況や内容を伏せる部分もある。分かってほしい。
俺は高校生の頃、卒業式の数日前に逮捕された。
ナイフ所持による銃刀法違反。もちろん誰にも危害を加えていない。
動機は中学高校でのいじめ被害による護身用と当時は話した。
留置所2日+延長10日間で計12日間。
保護観察処分。現在既に保護観察満了済み。
なぜただの高校生がナイフを持たなければいけなかったのか
確実に言えるのは、
・誰にも危害を加えていないこと。
・他に選択の余地がなかったこと。だ。
親父の計画の為に高校とかいう行きたくもない場所に行かされ、親父の指示で成績トップ10に入ったり、親父の指示で一部上場企業の高卒枠の試験を受け内定もらった。不器用で要領悪い癖に成績だけはまともだったから。ただの暗記だからね。
まあ大手の正社員(所詮高卒枠だが)に内定貰ったところで嬉しくはなかった。
高校時代、親父に"太か会社に入ったらお前を育ててやった教育費、養育費を回収させてもらう"。"俺はそんな甘くない"とよく言われていた。
さすが元金貸し。容赦ない。元本のみだから良心的か?(笑)
勝手にパコって俺を生み出して、生きるのにかかった費用を回収するということだ。高校だって俺は行きたいなんて言っていない。投資という名目で親に行かされてただけだ。
親父は実際に言ってた。これはお前にやってる投資だと。そんな親父の計画の為に俺は生まれてきたというのは事実だろう。
ということで俺は親父の為に試験前だけ暗記で勉強した。その間親父は酒飲みまくって好き勝手やる。なんのつもりか目立ちたがりか亭主気取りか分からんが、とにかく酒。大音量で音楽流す。妻(俺の母)に因縁つけて殴っては髪をつかんで引きずり回す。
酔っ払って焼酎のパックを外に投げて拾いに行かされたりなんなんだよこれ(笑)。俺もよく深夜まで酒に付き合わされてた。成績下がったら、打ったくられて。焼酎の満タンパックでかち割られて。
まあこんななのに離婚せず事なかれ主義で黙認してた母親も同罪。消極的に肯定してるんだから。
んで話は戻るが内定決まり、卒業間近になった。
こんなんだから卒業式くらいには自殺して計画台無しにしてやろうと思ってた。
そして卒業の数日前、色々あって、持ち物検査。鞄にナイフ。署に連行。深夜に逮捕。うん。
2日後くらいに分かったが内定も取り消された。
しかし先生に気に入られてたので卒業は出来た。
卒業式の日はまだ留置所にいたが、卒業証書をくれた。
初めて卒業おめでとうと言ったのは国選弁護人だった。
ちなみに正式に逮捕される前に取調室で"話を聞く"ってやつがあったんだが、その時にトイレ行かせてもらってベルトで首を吊ろうと試みた。っていう自殺未遂エピソードがある。それは今度話そうと思う。
逮捕状渡されるときのおっさん達の野太い声が今でも忘れられない。あのときの絶望感。緊迫感はかなり怖い。所詮高校生の小僧にはどうにもいかないことがある。自分のちっぽけさ、社会や権力からすれば自分はいかに非力で小さく、マヌケだという事を痛感した。
そのおかげであの当時の自分の無敵感のようなものをへし折ってくれて、現実を分かることができた。よって今、社会に沿った生き方をすることが出来ている。その面に関しては良かったと思う。
んで指紋取られる。指の腹から側面までネットリと。変な感じだった。留置所入る前に全裸にされる。ケツの穴まで見られて恥ずかしかった。
留置所は合計12日間いたかな。
この辺の留置所関連は次回にまとめようと思う。
んでなんでナイフを持ってたかと言ったら、そりゃ身も守る為に他に選択肢がなかったからだ。
学校では中学の時から高校までDQNが幅を利かせ、力があれば何でもありの世界。世界の縮図のような場所。
俺はそんな縮図の世界からは逃げたかったが、もちろん俺にその決定権はなく、全て親父が決めていた。
もちろん親父も母親もいじめの存在は知っていたが、助けてはくれなかった。
実際のエピソードとしてこんなのがある。
俺が学校行きたくないというと親父は俺を数発殴ってこう言った。
親父「俺といじめっ子どっちが怖いか?」
というわけで学校行かされたり。
あとはもちろん母親も黙認。放置。むしろ行動がおかしい。
忘れもしない、中学1年の時(その時は母親と姉の俺の3人で生活)。姉の同級生に下校中に倒れるまで殴られた。
その日の夜、相手が親と一緒に謝りに来た。出来事を知った母と姉は俺を叱って責めた。
母「あんた!姉の学校生活を邪魔しないでくれる!!あんたのせいで姉が嫌われたらどげんするよ!」
いやいや、俺ただの被害者なんですけど。
まあこんな感じで中学から高校の途中までよくいじめられていたんだよ。んで親は助けてくれないどころかむしろ加害者擁護、もしくは放置。んで学校に行かせようとするスタンス。
自分なりに考えて録音機持っていったりしてたが親父に芋引きと否定される。
母の口癖は「どんな理由でも義務教育だから行かなきゃだめでしょ」
親父の口癖は「いじめっ子相手にいもひきやがって!」
だから逃げ場なんてない。殴り合っても勝てない。誰一人、家族ですら助けてくれる人はいない。司法や法律に則って対処するのも所詮高校生一人では限度がある。じゃあ、残る選択肢は一つ。
力にはより強い力で対抗しなきゃいけないよね。
ってことでナイフを持った。結果これで捕まった訳だが今でも間違いではなかったと思ってる。
当時高校生、所詮高校生がその状況で出せる最適解がこれだっただけ。
だから反省のしようがない。
これが間違いだというのならじゃあどうすれば良かったのか?と家族。身内。保護司。知り合い。ネットなど、色んな人に聞いて回ったが論理的に答えられた人は一人もいない。
母親を例に取ってみると。
「でもダメなことはだめでしょ!」
だってさ(笑)
じゃあ中学でいじめられた時点で俺の逮捕は決定されてたんだねって話(笑)
だから何度でも言うが俺は、この件に関して一切の反省もしていない。そもそも反省のしようがない。なぜなら自分なりの正当性や選択の余地がなくやるしかないという状況があったからだ。それしか選択肢がなくそれが最適解だった。
だから今、また当時に戻って同じ環境や状況で生活していたらまた同じことをやるだろう。
だから今でも当時の行いを否定することはできない。今考えてもあの時の最適解は変わっていない。
しかしそれを理解できない人が世の中ほとんどに思える。
実際、誰も俺の質問に答えられなかったくせに、悪いのは俺と結論づける。
まず原因と選択肢と結果の段階を踏んで考えることができないんだろう。
もしくは原因という概念すらないようにも思える
逮捕有罪という結果=問答無用で悪者。
というふうに今まで出会ってきたほとんどの人は結論付けた。
じゃあどうすれば良かったの?教えて?と聞くが答えきれない(笑)
いくら説明しても理解する気すらないらしい。
みんな、思いたいように思うんだね。分かってもらおうとしても分かってもらえるはずがない。
家族や身内ですら全員そうだったから。
まあ大人になって少しの力と自己決定権を持った今。環境が変わって自分で生きていける今ならそんな犯罪をする必要はない。大人になってからはだいぶ生きやすくなったよ。
でも人生というのは過去の連続。今の自分を構成するのは過去の経験があるから。未来を決めるのは今の行動。
今はそれなりに楽しくやってるが、やっぱり忘れることはできない。例え結果オーライだろうと認めることはできない。本来なら必要なかった苦痛だ。普通の人生であれば知らなくて良かった痛みだ。
それでいつも俺が書く"脳の靄"。の正体
俺の感覚ではこの時を境に出てき始めた気がする。これ以降記憶が薄れていってる。でも嫌なことは色濃く残ってる。でも全体的に靄がかってる。考えることができない感じ。痴呆に近いんじゃない?
まあこれはどうせ死ぬまで治らんし原因も分からんオチだろうから諦めてる。どうせ誰かが責任取ってくれるわけでもないし。というかあと4年ほどで死ぬんだからまあいいやって感じ。良い思い出まで忘れちゃうのは残念だけどね。
改めて今思う。まずはよく今まで頑張った。一人でよく頑張った。
次回は留置所の生活と取調べについて書こうと思います