卒業式の第二ボタン
今の学生も、卒業式に好きな男子の学ランの第二ボタンをもらう文化ってあるのかな。
僕らの時代の卒業式は、男子も女子も、それぞれの学ランの第二ボタンの行方が気になってソワソワしていた。
モテる男子は卒業式の早い段階で第二ボタンが無くなっていたし、僕の第二ボタンはといえば、ずっと僕の胸に燦然と輝いていた。
売れ残った第二ボタンを胸につけながら、ずっと好きだったあの子が誰かの第二ボタンを貰っているかもしれないと思ったら切なくて、
他にも第二ボタンがついてる男子を探して、"まあ、あいつもついてるから大丈夫か"と安心する。
第二ボタンを上げれなかった男子が夕暮れ、もっと上げれなそうな男子を見て安心するという、ただただブルースが加速していく時間を過ごして、
「もう、誰でも良いから貰ってくれ」
モテない男子達の悲痛な思いを吸い込んで、それぞれの第二ボタンは重たくなっていった、あの忌まわしい文化は、今の学生の間にもまだ残ってるんだろうか。
そして、誰かの第二ボタンを貰った女子は、あのボタンをどうしてたのか気になる。
殴り合いの喧嘩するときに、第二ボタンを握って殴るタイプの女子もいたかもしれない。
「好きな人への想いが乗ってるからさぁ、今日のアタイのパンチはいつもよりも重いよ」
とかなんとか言いながら。
握るだけじゃ飽き足らず、金属加工の技術を覚えて第二ボタンメリケンサック作る子もいたかもしれない。
「あの人が姿を変えてアタイに力を授けてくれてんだよぉ、、ほら、こうやってサックを耳に当てたらさぁ、あいつの笑い声が聴こえらぁ、、、」
とかなんとか、その男子が死んだっぽい感じで言い出したりして。
料理に使ったりした女子もいたかも。
お吸い物に入れたり、
お刺身の盛り合わせの横に、たんぽぽがわりに置いたりしたり、
ちょっとずつボタンを削って、ボタンかすを粉チーズ代わりにサラダにかけて、ときめきシーザーサラダとか言いながら食べたらしていたのかもしれない。
もちろん、ときめきシーザーサラダ食べてる女子と、第二ボタンメリケンサックで喧嘩する女子は親友で。
この二人はいつまでも親友でいて欲しい。
いつの日か、違う誰かを好きになった時には第二ボタンを捨てるんかな。
「アタイ、違う人にコクられてさ、もうアンタとは、離れるよ、今までありがとネ」
とか言いながら血に染まった第二ボタンメリケンサックを海に投げ入れて、それを見ていた親友も
「アタシも違う人を好きになったんだ。第二ボタンはシーザーにして食べたから無いけど」
みたいな恋の終わりもあったかもしれない。
色んな恋があって、色んな終わりがあって、第二ボタンの数だけ物語があったんだと思う。