見出し画像

40年前の看護学生が手術の準備


 これは、私が実際に携わった様々な手術の話(看護学生のスタンダードではない)


 看護学生だった頃の 準備 外回り、片付けを淡々と行ってきた事を話していきたい。


 オペナースは1人だった。プライドの塊のような人で、「私が来ないと始まらないでしょ」(まあ そうです。)


 今までは、師長クラスが外回りに入っていたと聞く。
学生に目をつけたのは、監督医師(整形外科)だった。


 自分の手術を思い通りにやる。という目的で、選ばれたわけだ。(今考えると)


 まず手術が終わった後、手術器具を洗う助手さんと、打ち解けていき、洗い方や器具の名前と油拭きや研ぎ方を教わる。今はディスポ(使い捨て)が当たり前だが、メスの替え刃意外は研いでいた。


 手術ごとに器具が変わり、予定手術は、機械台と言うバットに夕方セットして、布に包む金属なのでうるさくて、中にも布が敷いてある。


 朝大きな蒸気滅菌機にかける。病棟から滅菌して欲しい材料をわかるように、組む 「お産」もある病院だったから、大量だ。


 手術には器具を落としたり、ルーティンな手術では万が一だが、想定して無かった場合も多々ある。(虫垂炎が破裂して腹膜炎など)


 当時手術着も布だった。
機械を出すバットは緊急手術の場合の滅菌として、アルコールを垂らし鑷子(ピンセット)で綿をつまみ うすく塗り広げ、最後に火をつけ 表面の雑菌を死滅させる と言う事を行なっていた。


 寝ぼけながら、それに火をつけたら、自分に燃え移ったことがある。 自分の冷静さに驚いたが、鑷子を離し 予防衣を脱ぎ(化繊)足で踏みつけて消した。


 一部始終を見ていた監督医師は、私が悪いかの様に 叱責した。(怒られ慣れると感情が動かない)


 しかし緊急手術が始まる前だったので、火傷が無かっただけましだった。


 そのまま外回りに入る。雑用だ。「〇〇取って」ガーゼカウント(ガーゼが体に入ってない事を確認するため、
X線に映るラインの入ったガーゼを使用)誰の何の手術
何時スタートの記録 まあほぼバイタルを記録していた。

 今だと手術は、6〜8人のチーム麻酔科医 ME  X-P技師 オペ医師2人 オペナース外回りナースがいる。


 清潔と不潔区域を徹底されるのもオペ室の特徴だ。
 これも徹底してオペナースに教えられる?(怒鳴られる)


 病棟の師長に聞いたりする。他の人にあまり聞けないのだ。師長は、私に同情して良く教えてくれた。


 ある時期 監督医師が煩わしく聞こえないふりをした。
周りが凍り付いたのがわかった。監督医師は、私の1メートル先にメスを投げつけた。


 オペナースの雄叫びの「聞いてんの〜〜」冷静に「はい何ですか?」
心臓がもたなかったらしい。

 あの後説教がつづいた。
しかし、オペナースは段々優しく教えてくれる様になった。


 戦略の勝利だった。外回りナースしか出来ない事を知ったからだ。徐々に機械出しの出番が回ってきた。


 当時はこれがすごい事だと思ったいた。が、今は患者については知らなかったので感情面で劣っていて、誰かのマシーンだったと思っている。


 後あと、解剖学がわかっていて、手術がわかっていると得な事が多かった。ついでにレントゲンや、血液検査の読み方やどんな手術が必要かも予測がついた。


 これは、私のエピソードであって、周りが全てそうではない と付け加えておきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?