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40年前 手術を看護学生が?!


 仕方なかった。


事故は突然に起こる。
準備に関係なく。


 彼は職場の人と救急車でやってきた。(午前中だったかな)

ちぎれた腕と一緒に。


叫び続けて、声がかれている。


 瞬時に 可能な限りできる事を やらねばならない。オペナースを呼ぶと同時に麻酔科医および監督医師に報告を受付に頼む


 整形外科医の大集結 ‼️
監督医師の先輩後輩を5人召集したようだ。


 先にトイレに行った。これは長丁場と踏んで、身につけた技(とても大事)


 監督医師は、とにかく患者さんの動脈をクランプ(止血)して、レントゲンと採血 血液型 輸血を指示した。


 私はオペ室準備の仕事を始めた。 医師が6人? (聞いてない) 想定以上の器具を準備した。(開けていない)


 清潔区域を一部作って、点滴ルートを採り、全身麻酔がかけられた。


 1人づつ医師が到着すると、術衣に着替えて 自分が持ってきた器具を並べる。(全員自分で使う器具持参)


 清潔な布を敷いた機械台だけ置く。消毒を済ませた 切断された手を置く かなり重いのだ。


 この頃の私は、何があっても驚かない。(気絶したら大変患者にとって迷惑)仕事人としての役割を持っていた。(仲間とは共有出来ない)


 まず医師達は、切断面を綺麗にする。機械による切断が圧倒的に多い。汚れてるし挫滅している 組織を取り除く。(この作業は患者に取って腕が付くかどうかにかかっている


 私はとにかく、(外回りに徹する)いわれた器具を用意して、清潔な状態で渡す。(普通は状況や機械や清潔 不潔の概念と どこに何が必要か と言う全体がわかる人がやる仕事)


 ガーゼを置いたり、カップに生理食塩水を入れたり。滅菌物の追加など、声かけが、大事(ここにガーゼを置きます。生食を入れます。)のような。つまり私が「何処で何をやってます。」がわからないとオーダーも出せない。医師は作業に集中している。


 両方の切断面を綺麗にしたら、骨の接合 血管の確認 とにかく 早くしないと萎縮し、組織に酸素が行かないと 手は着かないのだ。


 医師たちは、できる限りを尽くし、6時間で終わった。17時くらいかな?


 血流の状態は 大丈夫そうだ。医師から30分毎のバイタルと色を確認して欲しいと病棟ナースは言われる。


 裏方の仕事は、それぞれの医師が持参したものを洗い、拭いて返すように仕分けし帰るまでに渡せるようにする。


 医師たちは和やかに応接室で食事をとって、それぞれ器具を持って帰宅した。


 しかし、夜中の2時頃、まさかの連絡が入った。「手の色が白い脈が無い」これは大変だ。


 監督医師が報告を受け 血管外科を呼び戻す手配 オペ室滅菌のできている物を確認、麻酔科医を起こす。


 3時に始められるよう尽くして再手術となった。ブラックぺアン2の天城先生のようにめちゃめちゃ早く血管は縫えない。しかし、当時のマッハ級だったと思う。拡大鏡付きのメガネは当時なかったから。


 医師は辛抱強く 縫い続けるしかない。


 3時間かかり、解放され 寝る間も無く学校に向かう。
血流を確認して帰ってから呼び戻されると精神的にも体力的にもこたえる。動きすぎて足が棒になっている。
当然学校で寝ます。


 あの時の体力は何なのだろうか? 私ならできるとか思い込みのなせる技なのか? よくわからない。


 帰宅後 初めて休んで良いと監督医師の妻から言われた。


 その後病棟の同期が、患者さんのその後を教えてくれた。2ヶ月後に退院されたようだ。動かせないが。今後リハビリを、続けることになる。


 今は、切断とかあまり無いと思うが、先人の事故により、安全面が考慮されてきたからだ。


 一瞬で人生が変わる事が少なく無いと痛感した。


 これは、私のエピソードであって、周りが全てそうではない と付け加えておきたい。

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