何で東京??③
37年前 私は看護師として四谷の病院で働いていた。
当時 診察デスクの横に医師が手洗いするための「ベイスン」(洗面器に水と消毒液が入ったもの) を設置していた 医師が交代毎に替えてタオルも交換している。
医師は、処置した後にベイスンで手を洗うのだが、その医師の場合だけ「タオルを設置しなくていい」と言われた?? その医師は患者1人診る毎に手洗いをした。(コロナ禍は当たり前だったが、当時は奇異に映った)タオルは、自前でアタッシュケースに白のタオルが、几帳面に畳まれて10枚くらい入っていた。
当時そんな潔癖症はいなかったので、アタッシュケースにタオル詰め込んでいる医師の私生活どうしてるの?と気になる年配女子から、「聞いてよ。」と新人に言わせるよう仕向ける やな感じ。「わたしですか?」
若いと許されると思われてたようで、ハードル高い質問を聞く羽目になった。
「先生お子様は何人いらっしゃるんですか?」
Dr「3人だよ。」
「大きいお子さんは何歳になられますか」
Dr「10歳だよ。」
初めて聞かれた様子で、楽しそうに、子どもたちの話をする。お稽古事も自ら話し始めた。
なんか、話したかったんじゃない?興味持ってくれなかったから、怖い顔してたのか?と思ったが、そこからは、その医師の専属みたいにさせられる。
年配女子の興味はすぐに なくなるらしい。潔癖症は、直らない。から、こう言う人として終わらせるのだ。
同居中の妹は、変わらず役者の修行をしており、物を盗む体験ができなかったとオイオイ泣いている。 ほんとにヤバい劇団だ。
37年前は、こういうスタイルは、正しいのか?むしろわからない。劇団に入れたのは奇跡的と言っていたが………?
彼らはお互いを励まし合い、○○期の結束が強くなり、演劇論?が白熱している。どうやら有名な俳優が先輩にいて、一緒に舞台に立つ事が目標のようだ。
この熱のちがい。(有名な俳優は存在は知っているが、見た事ない。)
有名といえば、北野武フライデー襲撃事件が起こった日、フライデー側の治療をする羽目になった。彼は顔と手に外傷を負っていて、興奮していた。報道前だったから何があったか状況がわからなかった。
テレビの報道は遅かった。
さっきの人これで!!
大した怪我では無かったが、弁護士が躍起になっていたのを覚えている。診断書を書いた医師も法廷に呼ばれたらしい。(貧乏くじだ。)
川島奈緒美さんが、頚椎症で治療に来ていた。こんなに細くて綺麗な人を見たのは初めてだった。(レントゲンの骨が細っ!)
東京生活も楽しくもあり、先輩方との苦いやり取りとか、性格や生活感もわからないコミュニケーションに惑わされる日々
ある日東京に雪が降った。アイスバーンになっていて 歩道で転倒して、手が挫滅創になった。たまたま〇〇大学の教授に処置して貰うことになる。教授もバイトをしてた!!と今になって知る。
えっ?「私が診ましょう」
消毒とガーゼ処置だけですが……。「良かったわね教授に見てもらって。」どう反応すべきかわからない?ヘラっとやり過ごしながら、東京の生活は続く。
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