教室プロレス事件


 昼休みの教室は、いつもと変わらない雰囲気だった。男子は机をくっつけてゲームの話で盛り上がり、女子はスマホをいじったり、お菓子を分け合ったりしている。私はというと、親友の 莉奈(りな) と向かい合いながら、今日もプロレスの話に夢中になっていた。

「ねえ真央(まお)、昨日の試合見た?」

「もちろん! あのジャーマンスープレックス、めっちゃきれいに決まってたよね!」

「そうそう! 体格差あったのに、完璧だったよね! しかもあの投げる瞬間の流れがさ……」

 私たちはプロレス観戦が趣味だった。といっても、別に特別な経験があるわけじゃない。ただ試合を見て、「この技どうやったら決まるんだろう」とか「こういう時ってどうやって切り返すんだろう」なんて考えるのが楽しくて、気がつけば技の名前を覚えたり、細かい動きを研究するようになっていた。

「でもさ、実際にやるのって難しそうだよね」

「だよねー。投げ技とかもそうだけど、締め技とか本当に効くのかな?」

「うーん、さすがにプロのやつとは違うかもしれないけど、ある程度ならいけそうじゃない?」

「試してみたいよねー、どれくらい効くのか」

「ね! まあ、試す相手がいないんだけどさ」

 莉奈と私は顔を見合わせて笑った。どれだけプロレス好きでも、さすがに実際に技をかける機会なんてない。さすがに友達に試すわけにもいかないし、かといって道場に通うほどのガチ勢でもない。あくまで「趣味」として楽しんでいるだけだ。

「でもさ、やっぱり実際にやってみないと分からないこともあると思うんだよね」

「たとえば?」

「うーん……たとえば、フルネルソンってどれくらい動けなくなるのかなって思って」

「あー、それ分かる! だって後ろから腕固定されたら、結構きつそうじゃない?」

「ね。あと、胴締めスリーパーも、実際どのくらい苦しいのかなって」

「うわ、それはガチで効きそう……!」

 そんな話をしていると、廊下の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。私はそっちに目を向ける。

「また岡田たちじゃない?」

「かもね。ほんと、いつも騒がしいよね」

 私は思わずため息をついた。クラスの 岡田(おかだ) は、小柄で細身のくせにやたらとイキるタイプの男子だった。特に、口が悪くて生意気なことばかり言う。別に悪いやつではないのかもしれないけど、調子に乗ると止まらないのが厄介だった。

「ねえねえ、岡田たちって何してるの?」

 隣の席の女子がひそひそ声で話しかけてきた。私は少し身を乗り出して廊下の方をちらりと見る。

「相変わらずじゃない? ふざけてるだけでしょ」

 岡田たちは男子同士で軽く押し合ったり、誰かの肩を叩いたりしている。どうやら「どっちの力が強いか」みたいな遊びをしているらしい。

「おいおい、そんなんで終わりかよ? もっと本気出せよ」

「いや、お前が急に押してくるからだろ!」

「は? そんなんだからお前弱いんだよ」

 岡田は得意げに笑いながら、男子の肩をぽんっと叩いた。相手の男子は苦笑いしながら「もういいよ」と言っていたけど、岡田はしつこく絡んでいた。

「なんかさ、岡田っていっつもああいうことしてない?」

 莉奈がぼそっと言う。私は小さくうなずいた。

「うん。ていうか、あいつ自分が強いと思ってるよね」

「ねー。あんな細いのに、よくそんなこと言えるよね」

「口だけじゃない?」

「だよねー」

 二人で顔を見合わせて笑った。岡田のことを特別嫌っているわけじゃないけど、やっぱりあの態度はちょっとイラっとすることがある。実際、今だって相手の男子はもうやめたがってるのに、岡田はしつこくちょっかいを出し続けている。

「てか、岡田って、もし本当に喧嘩になったら絶対弱いよね」

「それな」

「言い返すことは得意そうだけど、実際に力で押さえ込まれたら何もできなさそう」

「うんうん、なんか腕とかめっちゃ細いし」

「試してみたくない?」

 莉奈がふざけたような笑顔で言った。私は「え?」と目を丸くする。

「いやいや、さすがに実際にやるのはまずいでしょ」

「冗談だって。でもさ、あの調子に乗った態度、一回くらい後悔させてやりたくならない?」

「それは、まあ……」

 正直、ならないこともない。岡田は基本的に口ばっかりで、自分がやられる側になるなんて思ってもいないタイプだ。もしああいうやつが本当に抑え込まれたら、どんな反応をするんだろう。

 ……そんなことを考えたのが、すべての始まりだった。

 放課後、私は莉奈と一緒に教室に残っていた。今日の授業はすべて終わっていたけど、まだ家に帰るには少し早い気がしたし、何より話の続きが気になっていた。

「ねえ、岡田ってさ、自分がやられる側になるなんて思ってもないよね」

 私が何気なく言うと、莉奈はくすっと笑った。

「だろうね。絶対『俺なら負けない』とか思ってるよ」

「いやいや、あの細さでどうやって勝つつもりなの?」

「でしょ? だからさ、実際に技が極まるかどうか、試してみたくならない?」

「それは……まあ、ちょっと思う」

 さっきまでは冗談半分の話だった。でも、こうして改めて考えてみると、岡田の態度がますます気になってきた。

 岡田は口が悪くて、生意気で、やたらと自分を強いと思っている。だけど、実際には特別運動ができるわけでもないし、体も細くて、どう考えても強そうには見えない。そんな彼が、もし私たちに押さえ込まれたら、どんな反応をするんだろう?

「でもさ、どうやって技をかけるの?」

 莉奈が興味津々な顔で聞いてくる。私は少し考えた。

「うーん……いきなりやるのは無理だし、何か理由が必要だよね」

「そうだよねぇ。……あ!」

 莉奈が何かを思いついたように、ぽんっと手を叩いた。

「岡田って、よく『お前らみたいな女子に負けるわけない』とか言うじゃん?」

「うん、言うね」

「じゃあ、もしあいつがまたそういうこと言ったら、『じゃあちょっと試してみる?』って言えばいいんじゃない?」

 私は目を丸くした。

「え、それめっちゃいいかも」

「でしょ?」

「でも、岡田って乗ってくるかな?」

「乗ってくるでしょ、あいつなら」

「……確かに」

 岡田はプライドが高い。もし私たちが「じゃあ試してみる?」と言えば、絶対「余裕だろ」とか言ってくるに決まっている。そして、その時がチャンスだ。

 私たちは顔を見合わせて、にやりと笑った。

 これで、岡田がどれだけ強いのか、本当に試せるかもしれない。

 その瞬間、教室の後ろからちょうどタイミングよく、あの声が聞こえてきた。

「お前ら、またプロレスの話してんの?」

 振り向くと、そこにはいつものニヤニヤ顔の岡田が立っていた。私はちらっと莉奈と目を合わせた。これ以上ないタイミングだ。

「そうだけど?」

 私がわざとそっけなく答えると、岡田は椅子に腰掛けながら笑った。

「ははっ、女子がプロレスって。お前らに技かけられるようなやつ、いねーだろ」

 莉奈がすかさず反応する。

「へぇ? じゃあ岡田は絶対負けないってこと?」

「は? そりゃそうだろ。お前らみたいなヒョロい女子に負けるわけねーし」

 きた。待ってましたと言わんばかりのセリフだ。私はできるだけ自然に口角を上げながら、ゆっくりと言った。

「じゃあ、ちょっと試してみる?」

 岡田は一瞬「え?」という顔をしたが、すぐに鼻で笑う。

「試すって、お前ら本気? いやいや、俺が女子相手に本気出すとかダサすぎんだろ」

「別に本気出さなくていいよ? ちょっと技がかかるか試すだけだから」

「まぁ、岡田が怖いなら無理にとは言わないけど?」

 莉奈が挑発するように言う。案の定、岡田は「はぁ?」と眉をひそめた。

「怖いわけねーだろ。いいよ、やってみろよ」

 よし、乗ってきた。私は心の中でガッツポーズをしながら、立ち上がった。

「じゃあ、ちょっとこっち来て」

 私は岡田を教室の隅の方に誘導する。周りにはまだ数人クラスメイトが残っていたが、特に気にする様子もなく、それぞれの会話に夢中になっている。ここなら大丈夫だろう。

「で、どうすんの?」

「まずは立ったままでいいから、ちょっと動かないで」

 私は岡田の背後に回り、ゆっくりと腕を回す。まずはフルネルソンだ。岡田の両脇から腕を通し、後ろで手を組む。

「お、おい……?」

「ほら、抜け出してみて?」

「は? こんなん余裕……」

 岡田が腕を動かそうとする。が、私はしっかりと力を入れて固定する。肩をすくめるようにして力を逃がさせない。岡田はもがこうとするが、思った以上に自由が利かないらしい。

「ちょっ……あれ?」

「抜けられない?」

「ぐっ……ま、まだ本気出してねーし!」

 必死にもがく岡田。しかし、腕の使い方を知らない素人では、そう簡単に抜けられるものではない。私はさらに密着するようにして力を入れる。

「うっ……お、お前、意外と力……」

「まだまだ、これからだよ?」

 私は素早く足を岡田の腰に回し、フルネルソンの体勢のまま、後ろに倒れ込む。岡田の体がぐらつき、バランスを崩してそのまま座り込む形になる。私はその勢いを利用して、自分の脚を岡田の胴に絡め、フルネルソン・ボディシザースに移行した。

「うわっ!? ちょっ、何これ!?」

「ほらほら、抜けられるんでしょ?」

「ぐぬぬ……!」

 岡田は必死に足をばたつかせ、腕を動かそうとするが、完全に抑え込まれて身動きが取れなくなっている。私はじわじわと締める力を強めた。

「おい、おい……マジで苦しいって……!」

「えー? だって岡田、負けるわけないんでしょ?」

「ぐっ……くそ……!」

 岡田の抵抗は徐々に弱くなっていく。呼吸が乱れ、顔が少しずつ赤くなっていくのが分かる。私は足の締めをさらに強めながら、耳元で囁くように言った。

「ねえ、もうギブアップする?」

「……っ!」

 岡田は一瞬何か言おうとしたが、ぐっと歯を食いしばる。プライドが邪魔をしているのだろう。だが、体は正直だ。もうほとんど力が入っていない。

 私はゆっくりと、さらに締め付ける。

「ほらほら、言わないともっときつくなるよ?」

「っ……わ、わかった! ギブ! ギブ!!」

 ついに、岡田が根を上げた。私は少しの間そのままキープしてから、ゆっくりと力を緩める。

 岡田はぐったりと力を抜き、肩で息をしていた。

「はぁ、はぁ……なんだよ、これ……」

 私は立ち上がり、勝ち誇ったように言った。

「ねえ、女子には負けないんじゃなかった?」

「くっ……」

 岡田は悔しそうに顔をしかめる。しかし、これで終わりではない。

 私はちらりと莉奈を見る。莉奈はにやりと笑いながら、岡田を見下ろしていた。

「ねえ、岡田?」

「……な、なんだよ……」

「負けたんだから、次はお仕置きタイムでしょ?」

 莉奈が楽しそうに言う。岡田はまだ息を整えられていない様子で、床に手をつきながらこちらを見上げた。私はその言葉を聞いて、ゆっくりと再び岡田に近づく。

「……は? もう終わっただろ……」

「何言ってんの? 岡田が負けるわけないって言うから試しただけじゃん。で、負けたんだから、負けた側にはそれなりの責任ってものがあるでしょ?」

「……っ」

 岡田の顔がピクッとこわばる。私はしゃがみ込み、優しく声をかける。

「ねえ、岡田。もう一回、私たちに勝てるって言える?」

「……っ……」

 岡田は口を開きかけたが、すぐに閉じた。さすがに今の状況で「勝てる」とは言えないらしい。でも、それじゃ足りない。私は莉奈と目を合わせ、次の一手に出た。

「じゃあ、次はもっとしっかり分からせてあげるね?」

「……っ!? ちょ、おい……!」

 私は素早く岡田の背後に回り、今度は胴絞めスリーパーを仕掛ける。岡田の首に腕を回し、しっかりと自分の前腕を食い込ませる。そして同時に、自分の両足を岡田の胴に回し、強く締め上げた。

「ぐっ……!? う……!!」

「ねえ、岡田? これ、抜けられる?」

「くっ……や、やめ……ろ……っ……!」

 岡田は必死に手を動かして私の腕を引き剥がそうとするが、そう簡単にはいかない。私はスリーパーの力をじわじわと強める。同時に、腰の力を使って足の締め付けを強くし、岡田の体を固定する。

「んー? 何か言った?」

「……ぐっ……! く、苦し……!」

「苦しい? そっか。でも、女子には負けるわけないんでしょ?」

「……く、そっ……」

 岡田の抵抗が弱まっていく。スリーパーがじわじわと効いてきている証拠だ。それでもギブアップを言わないのは、まだプライドが残っているからだろう。

 私はわざと耳元で囁いた。

「もう、終わりにする?」

「……っ……!」

 岡田の身体が少しずつ力を失っていくのを感じる。だが、ここで終わらせるつもりはない。

「莉奈、お願い」

「はーい♪」

 莉奈は楽しそうに笑いながら、岡田の足元にしゃがみ込んだ。

「ちょ、まっ……!? まさか……!?」

「うん♪ まさかの足4の字固め♪」

 莉奈はすばやく岡田の片足を持ち上げ、もう片方の足をクロスさせると、自分の足を絡ませてしっかりと極める。そして、一気に体をひねって床に押し付けた。

「う、うわぁぁ!? い、痛ぇっ!!!」

「えー? さっきまで偉そうだったのに、何でそんな声出してるの?」

「くっ……くそっ、マジでやめろぉ!!」

 岡田の体が跳ねる。しかし、私はスリーパーをかけたままなので、上半身を自由に動かすことはできない。首は絞められ、胴は締め付けられ、さらに足4の字固めで膝に強烈な痛みが走る。

「ねえ岡田、どうする?」

「ぐっ……! い、痛い痛いっ!! ほんとにヤバいって!!」

「じゃあもう、二度と女子をバカにしないって誓える?」

「くっ……くそ……!」

 岡田は歯を食いしばるが、膝にかかる強烈な痛みに耐えられないのか、ついに悲鳴を上げた。

「誓うっ!! もうしない!! だからやめて!!」

 私はしばらくの間、スリーパーをかけたまま様子を見る。岡田の息は乱れ、完全に力が抜けている。莉奈もじわじわと足4の字の圧を弱めながら、楽しそうに言った。

「ほんとに? また調子に乗ったら、もっとキツくするけど?」

「……しない!! もう、しない……から……!」

 その言葉を聞き、私たちはようやく技を解いた。岡田はその場に崩れ落ち、膝を押さえながら苦しそうにうずくまる。

「ふぅ、これで分かった?」

 莉奈が立ち上がりながら言う。岡田は悔しそうに顔をしかめながら、何も言えずにいた。

「ま、また調子に乗ったら、もっとキツくするからね?」

 私は軽く岡田の肩を叩き、勝ち誇ったように微笑んだ。岡田はそれを見て、小さく肩を震わせながら、ゆっくりと頷いた。

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