浮気2
私は乱れた髪を整えながら、ゆっくりとホテルのエントランスへと向かった。
煌びやかなシャンデリアが照らすロビーには、高級感あふれるソファやテーブルが並び、スーツ姿のビジネスマンやドレスをまとった女性たちが談笑している。受付には洗練された身なりのフロント係が立ち、静かな音楽が流れる中、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
私は一度足を止め、深呼吸をする。
黒崎がどの部屋にいるのかはすでに調べがついている。彼は玲奈との逢瀬のため、最上階のスイートルームを予約していた。私は事前にホテルのシステムにアクセスし、彼の予約情報を手に入れていたのだ。
ロビーを横切り、エレベーターへと向かう。
すぐ後ろを、黒いスーツに身を包んだホテルの警備員が通り過ぎた。私には特に注意を払っていない様子だったが、少しでも怪しまれればアウトだ。ここで揉めるわけにはいかない。
私は落ち着いた足取りでエレベーターへと乗り込むと、ボタンを押した。
「38階」――最上階。
エレベーターの扉が静かに閉まり、ゆっくりと上昇し始める。
鏡張りの壁に映る自分の姿を見つめる。私は平静を装っているが、内心は張り詰めた緊張でいっぱいだった。
「この扉が開いたら、もう後戻りはできない」
そう思うと、胸の奥で冷たい炎が燃え上がる。
やがて、エレベーターが静かに停止し、扉が開いた。
――最上階。
廊下には分厚いカーペットが敷かれ、落ち着いた照明が柔らかく壁を照らしている。ここは限られたVIPだけが泊まれる特別なフロアだ。
部屋番号「3805」。
廊下を進むと、目的の部屋の前に辿り着いた。
私は一度周囲を見回し、人の気配がないことを確認する。
ドアの前で立ち止まり、拳を握る。
――黒崎翔、お前の裏切りを、これから暴いてやる。
私はゆっくりと息を吸い込み、ドアに手をかけた。
私は一度深呼吸し、精神を落ち着けた。ドアをノックするつもりはなかった。
ポケットからカードキーを取り出し、静かに差し込む。これは事前に準備しておいたものだ。ホテルのシステムにアクセスし、黒崎のルームキーを複製するのは意外と簡単だった。
カチッ。
ロックが解除される音が響く。私はゆっくりとドアを押し開け、足を踏み入れた。
スイートルームの室内は広く、贅を尽くしたインテリアが並ぶ。
柔らかい間接照明が部屋を照らし、正面には大きな窓。その向こうには、都心の夜景が広がっている。静かに流れるジャズの音。空気は甘ったるい香水の香りに満ちていた。
「……まだ来てないのか?」
ソファに腰掛けていた黒崎翔が、スマホをいじりながら呟いた。
上質なシャツのボタンを2つ外し、ネクタイは緩められている。片手にはグラスが握られ、中には琥珀色のウイスキーが揺れていた。
彼はまだ気づいていない。
私はドアを静かに閉め、鍵をかける。
「お待たせ」
私が低く呟くと、黒崎はピクリと肩を震わせ、驚いたように顔を上げた。
「……お前……」
彼の表情が一瞬で強張る。
私は微笑みながら、ゆっくりと歩み寄る。
「どうしたの?驚いた顔して」
「なんで……ここに……」
黒崎の目が泳ぐ。動揺しているのが手に取るようにわかる。
「玲奈なら来ないわよ」
その一言で、黒崎の顔色が変わった。
「……お前、何をした?」
私はソファの向かい側に腰を下ろし、足を組んだ。
「さあ、どうかしら?」
私は彼の手元のスマホを指さした。
「見てみたら?」
黒崎は訝しげに画面を開く。そして、そこに表示されたメッセージを見た瞬間、目を見開いた。
『今夜は行けなくなった。ごめんなさい。』
私が玲奈のスマホを使って送ったメッセージだった。
「……お前が送ったのか」
「そうよ」
私は静かに笑った。
「で、どうする?私と楽しく過ごす?」
黒崎はグラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がる。
「……何が目的だ」
彼の声は低く、警戒心が滲んでいた。
私はソファから立ち上がり、ゆっくりと彼に近づく。
「決まってるでしょ?尋問よ。」
その瞬間、私は素早く動いた。
右腕を伸ばし、黒崎の肩を掴む。彼が驚いて身を引こうとした次の瞬間、私は足を絡めてバランスを崩させ、そのまま床に引き倒した。
黒崎の体が床に叩きつけられると、鈍い音が響いた。
「ぐっ……! お前……!」
彼が反射的に身を起こそうとした瞬間、私は素早く彼の背後に回り込み、脚を絡め、腕で首をロックする。
スリーパーホールド。
「っ……!?」
黒崎の体がびくりと跳ねた。私の腕が彼の喉元に食い込み、呼吸を制限していく。ただの首絞めではない。頸動脈を圧迫し、意識を奪うための技術。 力加減を間違えれば、そのまま永遠に目を覚まさなくなる。
「苦しい? でも、まだ手加減してるの」
私は冷たく囁いた。
「……っ、な、に……してる……」
黒崎は両手で私の腕を引き剥がそうとするが、無駄だった。私の脚が彼の胴をがっちりとホールドし、逃げ場を奪っている。
「玲奈とは、いつから?」
「……っく、知らねえ……!」
私は少しだけ締める力を強めた。
「っ……ぐ……!」
黒崎の顔が赤くなり、荒い息が漏れる。
「答えて。」
私は優しく言った。
「……一ヶ月、ぐらい……前……」
「ふうん。週にどのくらい会ってたの?」
「……2回……」
私はわずかに腕の力を緩めた。
「最初に会ったのは?」
「……取引先の、パーティー……」
彼の声が震え始める。酸素が不足し、思考力が鈍ってきている証拠だ。
「玲奈とは遊び? それとも本気?」
「……っ……遊び、だ……!」
黒崎の体がわずかに力を抜く。この瞬間が、一番危険。 だからこそ、私は油断しなかった。
「じゃあ、私と別れるつもりはなかったのね?」
「……っ……ない……!」
私は少し微笑んだ。
「嘘つき。」
再び、スリーパーの圧を強める。
「っ、やめ……! まじで……意識が……!」
黒崎が必死に手を動かすが、もはやまともな力が入っていない。
「あなたは玲奈に『本気だ』って言ってたみたいだけど?」
「……っ……!!」
「どっちが本当?」
「……どっちも……嘘……」
彼の抵抗が弱まり、意識が遠のいていくのがわかる。
黒崎翔という男は、私にも玲奈にも嘘をついていた。
「ふふ……やっぱり、あなたはそういう男よね」
私はゆっくりと締める力を緩め、彼の呼吸を確認する。落ちる寸前。だが、まだ意識は残っている。
「……これからどうなるか、分かる?」
黒崎の唇がわずかに震える。
「……な、に……を……」
私は彼の耳元で囁いた。
「あなたに罰を与えるの。」
その言葉を最後に、黒崎の体がぐったりと力を失った。
私はゆっくりと腕をほどき、彼の無防備な体を見下ろす。
これで終わりじゃない。むしろ、これからが本番――。
黒崎の体が床に沈み、静寂が訪れた。
私はゆっくりと立ち上がり、乱れた髪をかき上げる。スリーパーで落とされた人間は、数分で目を覚ます。 だから、その前に準備を進めなければならない。私はバッグから、用意してきたものを取り出した。
黒の結束バンド。
床に倒れた黒崎の両手首を後ろに回し、カチリ、と固く締める。 次に足首も縛り、逃げられないようにする。
ベッドのサイドテーブルに目を向けると、ワイングラスと氷の入った水のボトルがあった。私はボトルを手に取り、床に倒れた黒崎の顔にバシャッ! と水を浴びせた。
「……っ!? ぶはっ……!」
黒崎がむせながら目を覚まし、息を荒げる。
「おはよう、黒崎」
私が冷たく声をかけると、黒崎は縛られた手足を動かそうとし、ようやく自分の状況に気づいた。
「な……? てめぇ……! 何を……!」
「何って、あなたへのお仕置きよ」
私はゆっくりとベッドの端に座り、彼を見下ろす。
「お前……何が目的だ……!」
黒崎は必死に睨みつけてくるが、私はその目に恐怖が滲み始めているのを見逃さなかった。
私は答えずに、彼の背後に回る。そして、何の前触れもなく再び首に腕を回した。
スリーパーホールド。
「っ……!? ま、待て……! や、やめ――!」
「まだ一回目よ?」
私はじわじわと力を込める。頸動脈を圧迫され、黒崎の呼吸が乱れる。体が硬直し、手足が痙攣し始める。
「んぐ……! く……ぁ……!」
顔が赤く染まり、目が虚ろになっていく。黒崎の体から力が抜け、ついに――落ちた。
私は静かに腕をほどき、彼の体を床に転がす。
「一回目、終了」
黒崎の浅い呼吸を確認しながら、私はスマホの画面を開く。玲奈とのメッセージのスクリーンショットを撮り、それをじっと眺める。
「まだ終わりじゃないわよ」
私は再び水を手に取り、黒崎の顔にかけた。
「ぶはっ……! げほっ……!」
黒崎がむせ返りながら、意識を取り戻す。私は優しく微笑んで言った。
「二回目、いくわね?」
「っ……!? ま、待て……! 何度もやるつもりか!?」
「もちろんよ。気が済むまで、何度でも」
再び腕を回し、黒崎の首を締め上げる。
「ぐ、あ……っ! くそ……っ……!!」
黒崎は必死に抵抗するが、手足は結束バンドで縛られている。逃げることはできない。私はゆっくりと力を込め、また意識を落とすギリギリのところで緩めてやる。
「どう? どんな気分?」
「はぁ……はぁ……やめろ……」
黒崎は肩で息をしながら、震える声で言った。しかし、私は容赦しない。
「今のは二回目。次は三回目よ」
「……っ! ふざけるな……!」
「ふざけてるのはあなたでしょ?」
私は再び腕を回し、締める。
「ぐ、あ……っ……」
黒崎の意識が遠のいていく。
三回目。
彼の体が力を失い、再び沈黙が訪れた。私は腕をほどき、床に横たわる彼を見下ろす。
「さあ、何回落ちたら気が済むかしら?」
私は冷たい笑みを浮かべ、また水を手に取った。
これから何度でも、黒崎翔を締め落としてやる。
バシャッ!
氷水が黒崎の顔に降りかかる。
「……っ! ぶはっ……! げほっ……!!」
黒崎がむせながら意識を取り戻し、荒い呼吸を繰り返す。床に転がったまま、縛られた手足を必死に動かそうとするが、当然ながら無駄だった。
「また……っ、か……」
彼の声はかすれている。呼吸が苦しいせいだろう。それでも、彼の目には怒りと恐怖が混ざっていた。
私はベッドに腰掛け、ゆっくりと足を組んだ。
「三回目、終わったわね。どう? そろそろ自分の立場を理解した?」
黒崎は歯を食いしばりながら、苦しげに睨みつけてくる。
「……てめぇ、いい加減に……」
その言葉を遮るように、私は黒崎の背後に回り、再び腕を回した。
スリーパーホールド。四回目。
「っ!? ま、待て……! ぐ……ぁ……っ……!」
「もうそんなに体力ないでしょ? じわじわ締められるこの感覚、どう?」
「や、め……っ……く、そ……っ……!」
黒崎はもがくが、先ほどよりも抵抗が弱い。締め落とされるたびに、体力が奪われていくのを彼自身も理解しているはずだ。
「さっきまで強気だったのに、ずいぶんおとなしくなったわね?」
「ぐ……ぁ……」
彼の顔が赤くなり、目が虚ろになっていく。
四回目、終了。
私は腕をほどき、黒崎の体を床に転がした。彼の体は小さく痙攣し、完全に力を失っている。
でも、まだ終わらない。
私は彼の髪を掴み、顔を覗き込む。
「黒崎、あなたの浮気癖、これで治ると思う?」
「……っ……」
返事はない。意識が朦朧としているのだろう。
私は微笑み、水を手に取る。
バシャッ!
五回目の目覚め。
「……っ!! げほっ……! う……っ……!」
黒崎はびくっと体を震わせ、息を切らしながら目を覚ます。
「ねえ、黒崎。そろそろ何か言うことはない?」
「……もう……やめろ……」
彼の声はかすれていた。だが、私は首を横に振る。
「ダメよ、まだ五回目だもの。あと何回締められたら、あなたは後悔するのかしら?」
「っ……!!」
黒崎の目が見開かれる。
その表情が見たかった。
絶望の色に染まる瞳。
「六回目、いくわね」
私は再び腕を回し、ゆっくりと締め上げた。
黒崎の口が何かを言おうと動くが、もう声にならない。
「安心して。気を失うだけで、死にはしないわ。 でも、このまま締められる恐怖は消えないでしょ?」
「ん……ぐ……っ……」
六回目、終了。
もう一度、水を浴びせる。
七回目、開始。
八回目。
九回目。
黒崎はもう、まともに意識を保てなくなっていた。
でも、私はまだ満足していない。
私は再び髪を掴み、顔を覗き込む。
「黒崎……あなた、私に何を言うべきかわかる?」
「……ご……め……ん……」
かすれた声。
私は微笑む。
「ふふ、よく言えたわね。でもね――」
私はまた、ゆっくりと腕を回した。
「その言葉、何度言わせてもらおうかしら?」
黒崎の目に、再び恐怖が浮かぶ。
締め落としは、まだ終わらない。