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76歳で発達障害と診断された父との凸凹暮らし

第1章 人の気持ちが理解出来ない

はじめまして。
1年前に発達障害と診断された父を持つ40代主婦です。
「発達障害」と言えば、ここ10年くらい前に知られるようになった特性としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
父と暮らす中で、日々起きることに対する、娘の私の気持ちや対応が、皆さんの役に立てるのではないかと今までの経験を記すことにしました。
ちなみに父は、「自閉スペクトラム」「注意欠如多動症」「運動協調性障害」の3つの要素が全て混ざり合った状態だと診断されました。
何故この年齢に診断に至ったかの詳しい経緯は追々書いていきます。

まず私の幼少期に遡ってお話しようと思います。

両親は共働きで、祖父母と妹と私の6人で暮らしていました。

父はなかなか母の気持ちが理解出来ず、母も気持ちを察して欲しいタイプでした。

当然ながらすれ違いが起き、喧嘩をすることも多かったです。

母は父と話すことに疲れると、父と口を聞かなくなりました。代わりに私や妹に、父への伝言を頼むこともありました。
伝言内容は、例えば怒っている原因だったり、日常生活に関する些細なことです。
子供ながらに面倒だと感じたことを覚えています。

父とまだお風呂に一緒に入っていた年頃、小学生低学年くらいだったと思います。
この時既に、「父は人の気持ちが伝わりにくい人なのかもしれない」と感じていた私は、何故母が怒っているのか、どうして欲しかったのか、次からはこうして欲しいと父に説明するようになりました。

話をすると一瞬理解してくれているように見えますが、毎回初めてのリアクションを父はとります。

一つ一つの出来事、特に母の感情に関して、いつも初めての気づきだったのだと思います。

当時小学生の私は、伝わっていない感覚もありながら母の怒っている表情を見たくない、両親にただ仲良くして欲しい気持ちが強かったです。

小学生高学年の時に、先生への連絡ノートに「両親が会話がありません」とつい書いてしまったことがありました。
家庭訪問の時に担任に聞かれた母に、恥ずかしいと怒られたのを記憶しています。

いつも喧嘩をしていた訳ではなかったけれど、仲が良いイメージは今でもそんなにないです。 

家族で出掛ける予定を立てていて、直前に父が違うことを始め母を怒らせ、予定がキャンセルになったり、出掛けた先で大喧嘩をし途中で帰る、母と妹と私と3人での家出も何回かありました。

母は小学生の私と妹に、「あなた達が大人になるまで離婚は出来ない」とたびたび話していましたが、私も妹も「そんなに嫌なら離婚して良いよ」と答えていました。

家族の中で母、私、妹VS父の構図がいつの間にか出来ていたのかもしれません。

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