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76歳で発達障害と診断された父との凸凹暮らし

【診断後に起きたこと.5】

はじめまして。
1年前に発達障害と診断された父を持つ40代主婦です。
「発達障害」と言えば、ここ10年くらい前に知られるようになった特性としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
父と暮らす中で、日々起きることに対する、娘の私の気持ちや対応が、皆さんの役に立てるのではないかと今までの経験を記すことにしました。
ちなみに父は、「自閉スペクトラム」「注意欠如多動症」「運動協調性障害」の3つの要素が全て混ざり合った状態だと診断されました。

両親の喧嘩、母の一方的な父への口撃が続いたある日、妹が救急搬送されました。

私は1週間後にそのことを知りました。両親からも連絡がありませんでした。妹と私は母の病院の付き添いの都合を確認するため、スケジュール共有アプリを活用していて、そこに緊急搬送された経緯が妹により書かれてありました。

ショックでしたが、反面良かった面もありました。
妹は以前より体調不良を感じると推しのアイドルのLIVEやイベントに合わせ少しだけ病院に通っていました。
根本的な治療をしておらず、このことがきっかけで病院を受診するようになったこと、辛さを私以外の人(医師など)に吐き出せ、自分の体を大事にするきっかけに少し前なったような気がします。

激しい喧嘩の後に、母は一人暮らしをすると言い出したりもありました。

会いに行くと母は、「私が居るからいけない、一人暮らしする」と涙を堪えながら話しました。

最初は車も運転しないし、買い物や通院はどうするの?と聞いたりしていましたが、「病院近くに住む」と言い意思が硬いようでした。

母に「私も妹も両親の喧嘩が辛い、小さな頃から嫌だった。一人暮らししたいならしたら良いよ、気の済むまでやったら」と伝えました。

恐らくこれだけはっきり伝えたのは初めてだったと思います。
母が実際行動に移すかは分かりませんでしたが、
かなり実現可能性の低いことを言っていたので、
やるだけやって諦めがつけば母もスッキリするのではという考えからでした。

とはいえ病気を抱えている母のことは心配だったので、「地域包括支援センター」の方にはお伝えしました。娘としての正直な想い、強い言葉をもしかしたら掛けたかもしれないけれど、これで良かったんでしょうか?と話しているうちに涙が溢れてきました。
別居をしているので妹よりは、精神的な安定があったり客観的に接しているつもりでした。
そのつもりでしたが、同居していたら家族のクッション役になれるかもしれない、妹ばかりに背負わせている罪悪感から逃れる日はありませんでした。

妹の一件があったからか、その後母から一人暮らしの話は出ることはありません。
「宝くじが当たったら別居する。」以前から話していた口癖に変わりました。

いつになったら、母や妹は父への憎しみから解放されるのか、波がありながらも少しだけでも穏やかな日が増えることを望んでいます。

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