76歳で発達障害と診断された父との凸凹暮らし
【診断までの道のり.7】
はじめまして。
1年前に発達障害と診断された父を持つ40代主婦です。
「発達障害」と言えば、ここ10年くらい前に知られるようになった特性としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
父と暮らす中で、日々起きることに対する、娘の私の気持ちや対応が、皆さんの役に立てるのではないかと今までの経験を記すことにしました。
ちなみに父は、「自閉スペクトラム」「注意欠如多動症」「運動協調性障害」の3つの要素が全て混ざり合った状態だと診断されました。
何故この年齢で診断に至ったかの詳しい経緯についてのお話です。
前回からの続きです。
何とか父に認知症の検査を受けてもらえることになり、脳神経内科を受診する前に私はあることをしました。
どこの病院が良いか探している時に、大人の発達障害を診ることが出来るクリニックを見つけました。
クリニックのHPを見ると認知症のことについても書かれてありました。
認知症と発達障害を一度に診てもらえる方が、父には良さそうと思い連絡をしました。
「認知症の検査をする機器がないので、他で認知症の検査をしたあとなら、発達障害の診断は可能」とのことでした。
脳神経内科の医師で発達障害の診断も出来る医師を見つけられなかったので、前もって手紙を用意することにしました。
手紙には、「先ず認知症検査で診断していただいた後、何もなければ発達障害の検査が○○病院で出来ると聞いたので勧めていただきたい」と記しました。
都会ではなく近くに多くの専門医はいなかったので、母が認知症の検査を受けた脳神経内科で検査を受けてもらうことにしました。
選択肢が少なかったとはいえ、この選択が後に問題になりました。
受付で医師宛の手紙を渡したあと、
病院での検査は、午前中は家族への問診と本人への問診や認知症検査から始まりました。
1日ががりになるため、午前中は母と私、午後からは母と妹が付き添うことになりました。
家族への問診は日々の様子や困りごとなど書いていくのですが、先入観が入らないよう発達障害特性の可能性があることも全て記入しました。
午後からはMRI検査があり、いよいよ医師からの診断を聞くことになります。私も付き添いたい気持ちがありましたが、原因同居している家族が話を聞ければ大丈夫ということで妹からの連絡を待ちました。
結果は、父は認知症ではありませんでした。
脳に動脈硬化の兆候がみられたので、検査はして良かったと思います。
この時医師から父に、「認知症とは感じていないですよね?○○病院を受診してみませんか?」と話があったそうです。
発達障害を診てもらえる病院を熱心に勧めていただいて、父も納得し、母も妹も安心しました。
この時は良かったのですが、医師が父に認知症の自覚があるか聞いたこと、認知症ではなかったことに特に母が引っかかるようになりました。
「認知症を自覚している患者はそんなにはいないこと」
「自分(母自身)はレビー小体型認知症と診断され通院しているのに、言動がおかしい夫が認知症でないのはおかしい」
母はずっと父の出来ない部分をフォローし、家族の大黒柱のような存在でした。大事なことは母が決めてきました。
自分よりも父が劣っていると感じていて、父をバカにする言動も特に母が認知症を発症してから際立つようになりました。
それをずっと近くで見ている妹も母の影響を多く受けていました。
この後発達障害の診断は出るのですが、父が認知症ではないことが納得出来ない二人は、脳神経内科の医師がやぶ医者だと話すようになります。
母とは別の病院で父の認知症検査をすれば、多少はこの思いが薄れていたのではないかと後悔しました。家族の関係がこじれていることは理解していたつもりでしたが、想像以上だったと次第に痛感していきました。