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76歳で発達障害と診断された父との凸凹暮らし

第2章 じっとしていられない

はじめまして。
1年前に発達障害と診断された父を持つ40代主婦です。
「発達障害」と言えば、ここ10年くらい前に知られるようになった特性としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
父と暮らす中で、日々起きることに対する、娘の私の気持ちや対応が、皆さんの役に立てるのではないかと今までの経験を記すことにしました。
ちなみに父は、「自閉スペクトラム」「注意欠如多動症」「運動協調性障害」の3つの要素が全て混ざり合った状態だと診断されました。
何故この年齢に診断に至ったかの詳しい経緯は追々書いていきます。

まず私の幼少期に遡ってお話しようと思います。

両親は共働きで、祖父母と妹と私の6人で暮らしていました。

父はよく事故をする人でした。4年に1回は事故をすると母に言われていました。

父の運転する車に乗ると、ヒヤヒヤすることが多くあります。とにかく脇見運転が多いのです。
母も私も妹も頻繁にやめるように注意をしていました。
そして脇見運転以外にも、とにかく待つのが苦手だったり、無理に追い越そうとしたり、これは発達障害と関係がない性格の部分なのかもしれませんが…。

父が起こした事故は過去に数回ありました。

1回目は仕事中の居眠り運転、同僚を助手席に乗せたまま、電話ボックスに激突し止まりました。
幸い父や同僚の方の命には別条ありませんでした。

2回目はお正月に家の駐車場からバックした時に、バイク運転手にぶつかりました。
被害者の方は怪我はされましたが無事でした。
母と私と妹と何度もその方に頭を下げたことを覚えています。
この時の事故原因のきっかけは、発達障害の特性によるものだったと思います。

当時は毎年、母の実家で親戚と餅つきをするのが恒例になっていました。
その日は既に準備を始めていると連絡があり、焦った父は急いで母の実家へ向かおうとしました。
家の前がすぐ歩道で、しかもバックしないと出られないので慎重にならないといけなかったのですが、父の頭の中は「早く手伝いに行かなければならない」という気持ちでいっぱいで余裕がなかったのです。

この状態になるのは今でもよくあります。焦る必要はないことも、父はこうだと思ったらそれ以外は考えられないのです。
「注意欠如多動症」の部分と「自閉スペクトラム」の部分が合わさった状態がこの時の事故だったのではないかと、今では思います。

家族がどんなに急がなくて大丈夫と話しても、思い立ったらすぐ行動せざるを得ないのです。

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