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76歳で発達障害と診断された父との凸凹暮らし

【診断までの道のり.8】

はじめまして。
1年前に発達障害と診断された父を持つ40代主婦です。
「発達障害」と言えば、ここ10年くらい前に知られるようになった特性としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
父と暮らす中で、日々起きることに対する、娘の私の気持ちや対応が、皆さんの役に立てるのではないかと今までの経験を記すことにしました。
ちなみに父は、「自閉スペクトラム」「注意欠如多動症」「運動協調性障害」の3つの要素が全て混ざり合った状態だと診断されました。
何故この年齢で診断に至ったかの詳しい経緯についてのお話です。

前回からの続きです。

父は認知症ではありませんでした。
一安心しました。本人も動脈硬化の兆候が早めに見つかり、検査を受けて良かったと話していました。

次は発達障害かどうかの診断です。

事前連絡をし受診日が決まりました。

当日は私も含め家族皆で病院に行く予定でした。

しかし、私はその時コロナに感染しまだ回復していませんでした。父を説得するのに、ものすごいエネルギーを使い、かなり体力が落ちていたのだと思います。

父、母、私の妹の3人で行くことになりました。
家族への問診、本人と医師との診察を終え、直ぐに診断がつきました。

医師は母と妹に「○○さんは、発達障害があります。○○さんの場合、自閉スペクトラム・注意欠如多動症・運動協調性障害がまんべんなく出ています。ご家族として治療を希望されますか?」と伝えたそうです。

父の発達障害特性は、本人の自覚のない程に強いものでした。
自分はもしかしたら発達障害かもしれないと疑うことも、診断された内容を理解することも難しい状態でした。

母は、「今までずっと変わった人だと、そういう性格だと思って一緒に暮らしてきました。だから治療は希望しません」と医師に伝えたそうです。

その日は家族皆が、やっぱりそうだったんだ、それなら今までのことが納得出来るねという感覚になっていたのではないかと思います。
母は、診断がついてスッキリしたと話していました。

私はこれから、父の特性について家族皆の理解が、深まることを期待しました。
それと同時に今まで色んな不器用さがありながら、働いて不自由なく育ててくれた父に感謝しました。
仕事が続かなかった、クビになった理由も今なら分かります。器用さが求められる職人の世界で働こうとしたことがありました。本人は不器用過ぎるのに気付かず合わない職場を選んでいました。

定年まで働いてくれた職場では、きっと多くの人々が父を助けてくれたのだと思います。それは父に悪気がないこと、ほうっておけない一生懸命な不器用さがあったからではないか、父を今まで母や妹と一緒にバカにしてきたことを申し訳なく思いました。

父の発達障害は母の認知症と何も変わらないのです。本人が悪い訳ではないんです。
父が生まれた76年前には、今のように発達障害の概念がなく、例え祖父母が父を変わった子供だと感じても相談出来るような場所はなかったのが事実だと私は思います。

私が理想とする父親像ではなかったですし、理解出来ない言動に苦しんだこともありました。
でももうそれは過去のことだと私の中では、整理がついた診断内容でした。

現在同居中の母や妹は、そう簡単に割り切れる訳ではなく、この後家族の仲は険悪になっていきます。

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