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【40代カレイドスコープ】渇望の「赤い坂」を転がり墜ちて

ジンクスというものがあります。
人類がその仕組みを知る事はない、世界が約束する因果関係です。

縁起を担ぐ方、勝負事をする方は、わりと皆様持ってる様に思われます。

のんびりと生きる私も、ささやかなジンクスを一つ、秘めておりまして。

それは、カクテルの「ローザ・ロッサ」。イタリア語で「赤い坂」。

これをオーダーし、私が「美味しい!」と感じたが最後、

そのバーテンダーは、業界を去ってしまうのですよ。

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今でこそ、「自己紹介の好きなもの=酒」の私ですが、飲み始めたのは遅く、30手前になってからでした。

それまでも、職場や友人との飲み会で口にしてはいました。けれど、特に美味しいと思う事はなかったのです。

3回目の転職がきっかけで、それが一変。

転職先のホテルにあったオーセンティックバーにすっかり魅せられ、バー通いが趣味になったのです。

「3時間飲み放題 980円」の世界から、
1杯1,800円の世界へ。

あのカクテル、このリキュール。
初心者らしく、勧められるまま、手あたり次第に飲む日が続きました。

まだウイスキーは飲めなかったので、甘く、口当たりの良い酒が多かったと記憶しています。

そうして1年ほどたった頃でしょうか。

私の好みや、酒の強さを把握した同僚のバーテンダーが、赤ワイン、アマレット、ジンジャーエールのカクテルを作ってくれました。

それが、「ローザ・ロッサ」です。

苦味、ピリッとくる辛さと刺激、そして宥めるような甘い香り。

感動に打たれて沈黙する、1杯との出逢いでした。

単純な美味しさではありません。

重厚な空間にふさわしくあろうと振舞う、幼さ、凪いだ心。その内にある苛烈な本性に、揺さぶりをかけてくる様な味わいです。

まさに、私の運命。
そう思いました。


その頃になると、私はホテルバーだけではなく、繁華街でもバー巡りをするようになっていました。

ですので、行く先々でこのカクテルをオーダーしてみたのですよ。大好きになったカクテルの、バーテンダーによる味の違いを楽しみたかったのです。

結論は、どれも「違った」。もちろん美味しいのですけれど、圧倒的に「違う」のです。

同僚のバーテンダーが創る1杯だけが、私のローザ・ロッサだと悟りました。


レシピなど、果たして意味があるのだろうか。そう思ってしまう程、カクテルは作り手によって、味が全く異なるのです。

酒の魅力にして、魔力。私が愛する「赤い坂」は、彼だけが生み出せるのでした。

「良かった、最高のバーテンダーが同僚にいて」
そう思いました。

本当に、心からそう思ったのに。

それから間もなくして、彼がホテルを、いえ、飲食業から去ることを知りました。

私が駆け上がろうとした「赤い坂」は、ここでプッツリと途切れてしまったのです。

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2,3年経ち、街場ですっかり飲み慣れた頃。
2つ目の「赤い坂」に出逢いました。

その店は、雑居ビルに入ったオーセンティックバー。
当時ウイスキー飲みになっていた私は、図書館の様なバックバーを眺めながら、満たされた夜を過ごしていました。

ある日、口直しにグラスワインの赤をオーダーしたところ、その香りと渋みに、ひらめくものあり。

「ローザ・ロッサをお願いできますか」

作っていただいた一杯は、懐かしさを呼び起こす味わいでした。

愛した酒とは、別の酒。けれど、確かに面影がありました。香り、舌先の感触、グラスの縁に残る色。そんな、ふとした細かい所。

(横顔が似ている感じだな…)

本当は違う、という少しの淋しさを纏いながらも、それは確かな喜びでした。

これからは、ここで「赤い坂」を楽しもう。そう思いました。

なのに。あえなく、閉店。

若いマスターは、心が疲れて地元に帰ったのだと。
そう人づてに聞いたのは、だいぶ後になってからの事でした。

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3つ目の「赤い坂」。これはまさに、邂逅といえるめぐり逢い。

10年近くお世話になっているホテルバーテンダーが移籍したので、訪ねて行った先での事でした。

「そういう事でしたら、私に作らせてみませんか」

所作のすべてが美しい彼は、正統派のバーマンにして、クリエイター。与えてくれる感動は、いつも鮮烈の一言です。

だから今まで、私から何かをオーダーする事はありませんでした。酒を楽しむ時間の、雑音になると感じていたからです。

彼らしい、型破りなレシピが展開されます。やがてハーブの香りをつけたグラスに、久しぶりに見る赤い色が注がれました。


知っていますか。心の底をなでる酒を飲むと、涙がこぼれるのですよ。


「私のローザ・ロッサは、Hum川さんの運命になれそうですか?」

すぐに声がでなかった私は、頷く事でどうにか謝意を示しました。

「よかった。このワインは、切らさない様に入れておきますね」

「約束ですよ。あなたまで消えるのは、御免です」

「大丈夫、私の人生は酒とともにあります。いつでも、お作りしますよ」


彼とは長い付き合いです。この人なら大丈夫。今度こそ。

けれど。

約束は果たされませんでした。
コロナが飲食店を絡めとり、彼が勤めるバーはそのまま長期休業へ。

幸い営業は再開したものの、安定には程遠い状態だったようです。
愛する家族の為、彼は自分の世界と決別する事を選びました。


最後の出勤日。長年のお礼に伺った私は、綺麗な封筒を受け取りました。

「Hum川さん。これは私のローザ・ロッサのレシピです。受け取ってください。いつかきっと、誰かが、必ずまた連れてきてくれますから」

ありがとう、と言いはしたものの、何の慰めにもなっていない事を、彼自身も承知していたでしょう。

レシピなど意味がない事を、私は10年以上前に経験しています。プロの彼にとっては、言わずもがなの事実。

愛したものとは、いつか必ず別れの時が来る。
この夜が、その「時」でした。

追い求めてきたけれど、引き際は潔くありたい。

なので、これで本当に、さようなら。


「美味しいローザ・ロッサに心を奪われると、それを作ったバーテンダーはいなくなる」

これが私の、酒にまつわるジンクスです。

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それ以降、通いになった大切なバーでは、ローザ・ロッサをオーダーしない事にしています。

予感というより、確信。また、いなくなるんでしょ?

一夜限りの店で頼むときも、味のこだわりをバーテンダーに伝えるなんて、愚かな事はしていません。

本気を求めてしまったら、今度こそ全部終わりな気がして。
置いていかれるのは、もうこりごり…。


それでもたまに、ふと昏い欲望が沸き立ってきます。

たとえばこんな、蒸し暑い夜。
明滅する渇望の砂地が、手を招く。

もしかしたら、あの路地に、あの階段下に、あのネオンの横に、「私の赤い坂」があるんじゃないかって。


もしも出逢えたなら、それは奇跡。だから今度は、その瞬間だけでいい。


一夜限りの愛しさに、
1人きりで酔いしれたい。



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えーまとめると、
無いものは仕方ないので、今夜は餃子とビールにしますって事です。