芸術とは何か〜NHKの記事から考える〜

みなさんこんにちは
結構久々の投稿となってしまいました


今回はこの記事から考えます

今年の6月徳島県立近代美術館が所蔵している「自転車乗り」という作品がアメリカメディアで贋作として紹介を受けていました。
美術館の館長はNHKの取材で

近代美術館 竹内利夫課長
「この絵を初めて見たときには、キュビズムを紹介するコレクションにふさわしい作品だと期待や興奮を感じたのを覚えています。きちんとした手順を踏んで収集したので、贋作だという記事を見て、頭が真っ白になり、本当にびっくりしました」

NHKニュースWEB https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241223/k10014673641000.html

高知の美術館でも

贋作の疑惑は高知の美術館にも飛び火します。
アメリカメディアの記事には高知県立美術館が所蔵する絵画についても触れられていました。
紹介されていたのは「少女と白鳥」とういう絵画でした。
学芸員は

高知県立美術館 奥野克仁学芸課長
「カンペンドンクの大型の作品が手に入るかもしれないと心が踊った記憶があります。1億円を超えることもあるカンペンドンクの作品の中では、破格の安値でした。購入の際、専門家のお墨付きの文書も付いていたものですし、『贋作かもしれない』という連絡があったときも、それはあり得ないと思いました」

NHKニュースWEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241223/k10014673641000.html

書いた贋作師

NHKの記事には書いた贋作師のインタビューも、
その贋作師は

ベルトラッキ氏
「あらゆる画家の作風を識別し、吸収する、つまり受け入れられることに気づいたんだ。そしてある日思ったんだ。『くそ、俺の方が、そもそもずっとましに描けるじゃないか』と。私が描くのはただのコピーではない、新しい絵を生み出しているんだ」

上記同様

書くときの手口を

ベルトラッキ氏
「画家が住んでいた場所に身をおくと、より親密さを感じられる。街を見ると、彼がそこに住んでいたことをとてもよく想像できる。1人の画家を長いときで半年くらいは研究した」

上記同様

ベルトラッキ氏
「私はとても早い時期に自分の芸術で成功した。いずれにせよ大金を儲けただろう。ただ自分自身の絵を自分のスタイルを変えずに繰り返し描くことは、あまりに退屈すぎた。贋作を描く際、私と妻は旅に出て、画家が絵を描いた場所や美術館を見て回った。それが楽しかった。もちろん金のためにやったことは否定しない。金も必要だった。恍惚(こうこつ)感がたまらなかった。描き終えたときのことを想像してみてほしい。すべての人が本物だとうなずき、感激し、“これはとてもすばらしい”と。それを楽しんだんだ」

上記同様

しかし自分が悪びれることはなかった

ベルトラッキ氏
「芸術における“本物”とは、特定の画家によって作られるものではない。誰がそれを描いたかは全くどうでもよいことだ。人は美しいと思ったものを買うべきだ。たとえ贋作でも絵を見て感動したならそれでいいではないか」

上記同様

もう一つの贋作疑いのある絵を鑑定すると館長は
吉澤公寿館長
「AIの評価は受け止めますが、最終的に絵画の真贋を決めるのは人間だと信じています。真作だろうが贋作だろうが、この絵が美しい絵であることは変わりません。この『美』の感性はAIには判断できないでしょう」

上記同様

私たちが芸術に求めているものとは
取材を進める中で、あらためて高知の美術館を訪れた人たちにも話を聞いた。その中で印象に残ったのが次のことばだった。

「いい意味でも悪い意味でもただ者ではない人物の絵だし、贋作だったとしても展示してもらい、贋作の力というものを見てみたい気がする」

ここであらためてベルトラッキ氏の発言を振り返りたい。

「たとえ贋作でも絵を見て感動したならそれでいいではないか」

そしてマリー・ローランサン美術館の館長のことば。

「真作だろうが贋作だろうが、この絵が美しい絵であることは変わりない」

それぞれの発言には多くの共通点があるように思う。そして、そこに今回の問題の“答え”があるのではないか。

芸術が本物かどうかを私たちが見極めることは極めて難しいことだ。では、何を持ってその作品の美しさは、価値は決まるのか。

それを考えるヒントになるようなことを、ドイツ最古の大学「ハイデルベルク大学」で長年、贋作を研究するヘンリ・キーゾル教授が語ってくれた。
ハイデルベルク大学 ヘンリ・キーゾル教授
「人が絵を観賞するとき、絵そのものよりも、絵にまつわる物語などに価値を求めて、より魅力的に思うことがある。芸術鑑賞を通して本当は何を求めているのかを自問することが大切だ」
ベルトラッキ氏の贋作によって、多くの人たちが翻弄され、莫大な被害が発生したのは間違いない。

そして今もどこかに彼が手がけた贋作が、そうとはわからず展示されている可能性もあり、彼の行った行為は深刻な影響を与え続けている。

ただ一方で、この問題は、絵画に、ひいては芸術に私たちが求めている“美しさ”とは何なのかという問いもまた突きつけている。

“絵にまつわる物語”を追い求め続けるかぎり、第2、第3のベルトラッキ氏がまた現れるかもしれない、そんな風に感じた。

上記同様


みなさんはこの文章にある、この問題の答えがわかりますか?
僕は「絵は誰が書いただろうと美しければいいのだ」そんな答えだと思います。
他の答えがあればぜひコメントに!
みなさんもぜひNHKのニュースWEBを読んでみてください。


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