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信じるということの尊さと難しさ

あやしい宗教を信じる両親とその子ども。思春期の悩みと宗教を信じる心の揺れ動きを丁寧に描く『星の子』

宗教にのめり込む家族の日常をフラットな視線で描く

主人公のちひろは未熟児で病気がちな子どもでした。悩む両親を救ったのが宇宙のエネルギーを宿した「特別な水」。この水でちひろが劇的に回復したことから両親は販売元の宗教にのめり込んでいきます。裕福だった家族は段々小さな家に暮らすようになり、食事や服装も質素になっていきます。中学3年生に成長したちひろは当然宗教を信じていますが成長するに従って心が揺れ動き始めます。これはいわゆる宗教二世の話ですが、優しい友達との交流やイケメン先生への片思いなど普段の学校生活と、宗教にのめり込む家族の日常をフラットに描く人間ドラマとなっています。このデリケートな題材を一方的に奇妙なものとして描かず、かといって美化したりもしない、あくまで「そういう人たちもいる」というようなフラットな視線で映しているのが印象的です。

さりげない演技と佇まいで「そこにいる人」のように見える役者陣

ちひろを演じるのは撮影当時に設定年齢と同い年だった芦田愛菜。ただでさえ思春期で揺れ動きがちな年齢であるうえに信じる心まで揺れ動くちひろを圧倒的な演技力で表現しています。また両親役の永瀬正敏と原田知世もスター感を完全に消して素朴で信心深い両親を演じています。父親を宗教へと導く池内万作や、宗教の青年部の幹部で快活なアニキ肌の高良健吾、、人のオーラが見えるという独特の佇まいの黒木華などの「こういう人いそう…!」というリアルな空気感がたまりません。ちひろが憧れる学校の先生役を性格の悪いイケメンを演じさせたら天下一品の岡田将生が演じているのも最高です。信者であるちひろと気兼ねなく付き合うクラスメイトたちも若手俳優たちが自然体で演じていてリアリティをしっかり底上げしています。

特殊な家庭の話ではない、どこの家庭にも当てはまる普遍的なドラマ

この映画で最もキーとなるのがちひろの姉「まーちゃん」の存在です。病弱なちひろが生まれてから両親が変わっていく様子をずっと見ていたまーちゃんはちひろ以上に家族への理解と拒絶で苦しむ立場となっています。そのまーちゃんがちひろが5年生の時に家出したという出来事がこの家族に一つの大きな影を落としているのです。一方のちひろは物心ついた時から両親が信者という状態なので自分も宗教を信じていると思い込んでいますが、実は宗教ではなく宗教を信じる両親を信じているということが段々とわかってくるのです。一見すると特殊な家族の話に見えますが、家族という最も深く最も切れない存在をどこまで信じることができるかという普遍的なテーマを描いているのです。

寂しさと悲しさと温かさが同時に訪れる不思議な後味

この映画は終盤に宗教団体の集会という大きな見せ場へと突入していきます。この大規模な会場でちひろが両親となかなか会えないというシーンが続きます。もし両親がいないなら自分は何のためにここにいるのか、ここには自分の意思で来ていると思い込んでいたがそうではないのかもしれない…とちひろの心が大きく揺さぶられます。この不安定な心理状態を目と行動だけで示す演出が見事です。そして最後に親子3人で夜空を眺めるシーン。美しい夜空にいくつも流れ星が通りますが両親とちひろが同時に流れ星を見ることはないのです。なぜか深い寂しさと悲しさ、そしてほのかな温かさが同時に心を満たしていくような不思議な映画です。

Text/ビニールタッキー

ビニールタッキー プロフィール

映画宣伝ウォッチャー。ブログ「第9惑星ビニル」管理人。海外の映画が日本で公開される際のおもしろい宣伝を勝手に賞賛するイベント「この映画宣伝がすごい!」を開催。Twitter:@vinyl_tackey