私が生まれた話。

家庭環境とか

まず初めに。だいぶ重い話ではあるけど久しぶりに全部思い出せたので残しておく。

生まれた日。

まず。私は2004/3/13日に生まれた。
どうして生まれたか、父と母で説明がだいぶ異なるのだ。
父は「母が産むというから…」ってお前降ろす気満々やんけ。
それで結婚する気だったらしい(祖父母とも何回も会っているから事実だと思われ)何気に情に厚い人のようだ。
しかし母が躁鬱なのかぶち飛んで父と別れた。
母は生まれるまでずっと私のことを恐怖してたらしい。
ただ生まれた瞬間はかわいく見えたらしい。
まあ、そのあと見事に体調崩して育児は祖父母に全投げだったみたい。

初めの感情

私の初めて記憶した感情は「寂しさ」だった。
幼稚園の頃、母はずっと寝てて構ってくれなかった。
ただただつらい記憶だけが残っている。今も。
唯一の思い出といえば、母がゲームのボタン連打を私に任せたことだった。
寝るからって。

欠損

小学生になったころ。初めての習字で親に驚かれた。
周りと並べられて初めて気が付いたのだ。私だけ
私一人だけ字があまりにも汚かったのだ。
後に書字障害であることが判明するが5年後。
五年間もの間字が汚いだ勉強ができないだと
怒られて叩かれて虐待され続けた。
五年も放置されて私は壊れ果てた。

それでも

それでもいいことはあったはずだ。
親から今聞けば褒めたことや喜んだことを話してくれる。
しかしそのことを私は一切覚えていないのだ。
ただただつらい記憶だけが頭に残り続けた。

この男の人…誰?

4年生にもなるころ。母が祖父母の家を私を連れて抜け出した。
そしてそれからは知らない男が毎日家に来る。
一か月かそこらに一度変わってる。
まあいい人もいたが私に呆れてたね。ただただ。
一度川に投げ捨てられたこともある。

壊れた。そして今の私

5年生の冬。しもやけが痛かった。
ある日、もう記憶にないが起き上がれなくなったらしい。
相談所に担ぎ込まれて精神科に行って、色々診断をもらった。

卒業式

小学校の卒業式、行かないと言っている私をトイレから引きずり出して
連れていかれ見世物にされた。親曰く
「ここで行かせなかったらろくな人間にならないと思った。」らしい。
私は完全におかしくなり以後三年間食事に毒を疑いすべてに盗聴器を感じたりしながら暴れ散らかしていた。

更生

私が元に戻れたのはすべてネットのおかげだ。
パソコンを触った。誰かと会話で来たのがうれしかった。
そうして誰かを画面越しだからこそ信頼できた。
普通の大人に初めて出会った気がした。
誰と出会うかを選べる。これが私にとって必要だったのかもしれない。
その出会いからもう7年以上。なんとか生きてます。ありがとう。

謝辞

こうして出会ってくれたみんなにありがとう。
出会ってくれたみんなのおかげで命を拾われて、今生きてます。
疎遠になった人も、今も仲良くしてる人も、これから出会う人も
ありがとう。元気にハードコアやってます。
まだまだ生きてけそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?