【インタビュー企画】vol.2 戸上雄揮さん 「地元に還元したい。 地域と関わり続けるキャリアを通して。」~後編~
こんにちは!後編のインタビュー記事担当します、古谷響です!
前半では、大学2年生までの戸上さんの学生生活をお聞きしました。
後半では、2回目の復興創生インターン経験を通しての思いと、学生生活での経験が社会人としての戸上さんにどう繋がっているのか、お聞きしてきました!
ぜひ、ご覧ください。
1.原点の東北へ
—1回目に女川でインターンに参加した戸上さんですが、2回目に石巻でも参加してしてたんですね!参加しようと思った理由が気になります。
そうですね。2018年はギリギリお代わりが出来たんです。笑
だから、2年生の春休みに石巻にもう一度インターンをすることにしました。
きっかけは、1年生の時に始めた熊本での活動を振り返った時に、自分の活動に意味がないんじゃないかとか思ってしまったことです。
一部の人にしか自分のやってきたことの価値を届けられていないんじゃないかと思ってしまい、自分のしてきたことに自信が持てなくなってしまったんですね。
だから、自分の原点である「東北に戻ろう」と思ったんです。
—そんな悩みがあったんですね。2回目のインターンでは、どうして石巻を選んだんですか?
1回目の女川でのインターン時にお世話になったCDNの中村志郎さんに、紹介を受けた一般社団法人石巻・川の上プロジェクトという団体に出会ったんです。
川の上という地域で、課題になっていたコミュニティの再構築に興味をもち、石巻を選びました。
—コミュニティの再構築が求められた背景には何があったんですか?
川の上地区は、東日本大震災後に大きく変化をした地域の1つなんです。震災による直接的な被災は少なかったものの、被災された沿岸部の方々が移転する防災集団移転地に選ばれました。もともと川の上地区には約400世帯の住民が住んでいましたが、新たに約400世帯の人たちが移り住むことになりました。
既存住民と移転住民が手を取り合って新たなコミュニティをつくることはできないだろうか?という思いから、このプロジェクトがスタートしたんです。
2.コミュニティ作りの難しさ
—震災によって、結果的に新しいコミュニティが生まれることになったんですね。どうやって作られていったんですか?
そこなんです!
まさに課題になったのが、新しいコミュニティ作りの大変さなんですよ。
今まで沿岸にいた人が内陸に行ってもすぐに仕事が始められるというわけではない。元々近所付き合いがあった人とも離れ離れになって孤独になったりとか、そういう課題がありました。
具体的には、農家さんの米を保管するための大きな蔵をリノベーションした図書&カフェスペースを合わせた百俵館というところを作りました。ここを拠点に川の上地域でコミュニティを作るという活動を行っていたんです。
(インターン先の川の上プロジェクトが運営する百俵館)
インターンでは、コミュニティを作るというテーマの下で、新しく仮設住宅に引っ越してきた人と元々住んでいた人が交流できるような場所を作ることを目指しました。元々、百俵館という場所があったので、イベント企画といったソフト面に精力的に進めていました。
でも、運営メンバーもマンネリ化が進んでいて、同じ人しかイベントに来ない等の問題が起きました。違う方法でコミュニティを活性化できないかという課題が浮かんできたんです。
—確かに新しい人を巻き込まなきゃいけないタイミングありますよね…。戸上さん達はその課題にどう向き合ったんですか?
僕らは、地元の小学生たちと地元で長く愛されるお祭り企画をしました。小学生の子たちと先生方、百俵館の人達と一緒に地元の人達をどうやったら巻き込めるのか考えました。
(大学2年生の時。子供たちとお祭りの企画中)
実際にイベントを実施して、1回で終わるのはもったいない!と、次回以降も開催できるようにマニュアルを作りました。これを小学校の先生方に提案しに行き、継続的にお祭りが出来る仕組みづくりをしてきました。
インターンが終了し、僕らが帰った後も2回目、3回目と開催してくれていて、
それがすごく嬉しかったです。
—自分たちが残したものが継続して行われてるの嬉しいですよね!インターンを通して戸上さん自身に変化はありましたか?
どうすれば人を巻き込めるか、どうすれば継続してもらえるかという戦略的に飛び込む姿勢は学べたなと思います。また、なんでも1人でやりがちなところがあったから、周りの人や相方の子と協力することを学びました。でも、インターン直後の学びと、今の学びは全然違うなって思います。
インターンの中では、大学生の面白さを伝える小中学生に向けたイベントもしたんです。
その地域には、高卒の子が圧倒的に多くて、大学を選択肢にもっている人が少なかった。だから小学生にとって、大学生の話がすごく新鮮味があったみたいでした。自分が話したヒッチハイクの面白さを聞いて「僕もヒッチハイクしたいです!」という子もいました。
子供時代に持つ夢って、近所のお兄さんお姉さんや、ドラマで見るみたいなところから始まるんだって実感しましたね。
—子供たちに大学生の姿を見せれるのって本当に素敵だなって思います!そんな濃い1,2年を過ごした後、次はどんなアクションを起こしていたんですか?
3年生になってからは熊本の活動も後輩に譲って、他の活動も一度全部やめてフリーな状態になりました。何しようと考えた結果、そこからは就活を普通に始めました。笑
ちょうど、この時期からサマーインターンが始まっていて、夏にソフトバンクのTURE TECHという地方創生インターンを見つけました。それが1番面白そうだなと思って、何とか受かって行くことが出来ました。
(大学3年生の時。TURE-TECHマーマレードチームメンバーと徹夜で議論している時)
また、FJの初代寮母として、インターン生のお世話や、CDNの松本裕也さんのお手伝いをしに1ヶ月間石巻に住み込みもしていました。笑
寮母を通して、インターンを設計する側に興味を持ち始めたし、インターン生のフォローしていく中で、キャリア教育にも興味が広がった機会になりました。
3.地域とずっと関わっていくキャリアを
—今年の4月から社会人になった戸上さんですが、今後やっていきたいことを教えてほしいです!
仕事をしていても、地域の活動には参加したいですね。仕事だけじゃなくてそれ以外の活動もやっていきたいから、地域の活動や社会人企画といった復興創生OBOGグループの運営もその一環で続けていきたいです。
(社会人OBOGキャリア講演会〜Vol.1 ファーストキャリアの選び方・地方と都会〜)
https://www.facebook.com/events/2976047052472550/
特に社会人企画は、自分の経験が、少しでも誰かのキャリア選択を広げることに貢献できたらなと思っています。
—なるほど。このOBOGコミュニティや社会人企画も地域と関わっていきたいという活動の一環なんですね。他には何かこれからやっていきたいことなどはありますか?
そうですね、地方や地域と関わるという抽象的な目標は決めています。
理想の働き方としては、FJの松本さんのような働き方です。
大企業で働きながら、地方に住んで、自分たちのやりたいこととか課題としてもっていることに取り組んでることがいい働き方だなっていうのがあります。
働いている会社に色んなリソースがたくさんある中でも、地方に滞在して働くっていうのを自分もソフトバンクでしたい。
だから、本人には言ってないけど、松本さんみたいな働き方がしたいって思っています。笑
(大学3年生の時。FJインターン寮母時代)
具体的に今ソフトバンクの中でやりたいことは3つあります。
①CSRの部署で仕事をする
②TURE-TECHでメンターとして関わる
③ソフトバンクイノベンチャーで新規事業提案
この3つの思いは、全部学生の延長線上で繋がってます。
—仕事の中で、すでに自分のやりたいことを見つけて実現しようとしているのが素敵です!
本当にただやりたいと思っていることをやってるだけなんですよ。笑
パッと浮かんできたことが自分のやりたいことだといつも思っている。でも、
じゃあそれを設定して、やるためにはどうしたらいいんだろう。
期限をきめないと、いつまでも「いつか」のままだから、5年以内でやりたいっていうのも決めてます。笑
ソフトバンクの人事制度には、手を挙げた人に仕事が割り振られたり自分の希望の部署や地域に行ける文化があるんです。だから、自分の希望を叶えるためにもまずは今の配属された部署でバリバリ頑張っていきたいですね。
—すごい…。「やる」と決めた人にチャンスを与えられる環境は刺激的ですね!戸上さんのこれからの活躍応援してます!今日はありがとうございました!
ありがとうございました!
4.最後に
生い立ちから聞き始めて、なんと2時間も自分の話を語ってくださった戸上さん。ここに書ききれなかったことがたくさんありました。笑
1番心に残ったのは、何かをいつ始めたとしても、それまで積み重ねたものは絶対無駄にはならないということです。戸上さんは、振り返ってみると自分の価値観や判断基準って高校生の頃から何も変わってなくて、挑戦したい気持ち、根っこの部分は変わってないと言ってました。今の価値観も幼少期の頃から変わってない、そう思うと、気づくのが早いとか遅いは関係ないという言葉はすごく背中を押してくれました。