推しは選抜じゃない
私は乃木坂46の伊藤理々杏ちゃんが大好きです。
でも、理々杏ちゃんは選抜メンバーにはあまり選ばれません。
乃木坂ではシングル毎に選抜メンバーが選ばれます。
もし選ばれた場合、テレビやイベント・CMなどの出演者として活動する機会が多く与えられます。逆に選ばれなかった場合、アンダーとしてライブを中心に活動することになります。
私はただのファンですが、選抜に選ばれない事はとても悔しいです。
テレビなどで乃木坂46と紹介される時、居ない事が多いです。冠番組の乃木坂工事中にも出ない方が多いです。番組が始まって、オープニングを見て、出演者に名前が無くて、がっかりする。そういった日の方が多いです。
私が一番心配で嫌なのは、選抜に選ばれなかったという経験を繰り返す事で、理々杏ちゃんが傷つくのではないか、辛い思いをするのでは無いかという事です。あまり悩んでいる姿や、悔しくてつらい姿を表に見せる人ではないので、本人がどう感じているのかは正直分かりません。でもきっと悔しい思いはしていると思います。
以前、乃木坂配信中で行ったASMRの動画の中で、久保史緒里ちゃんから「昔は突然泣きだすことがあった。今でも楽屋などで同期の前では泣いていることがある。どの仕事にも尊敬するくらい真面目で、どの仕事にも全力だから、人一倍悔しいという感情が大きい。」と人柄を評されていました。憶測ですが、そういった感情は日常的にあるものの、ファンの前には見せないように心掛けているのではないかと思っています。
アンダーとして活動する期間でも、理々杏ちゃんの一生懸命さは変わりません。ライブが好きだと何度も語っていることもあり、アンダーライブでは自分が持っているアイドルとしての輝きを全てその場所に置いてくるような姿を見せてくれます。演じるのも好きで、舞台や声優の仕事を頂ければ、きちんと準備して自分が出せる力を全て出しきります。最近は後輩を支えるようなエピソードもよく耳にするので、自分の立ち位置がどこであれ、人や物事に真っすぐな姿勢は変わらないのだと思います。
だからこそ、そうやって大切に大切に毎日を過ごした結果が「選抜に選ばれなかった」という評価だけだった時、いつか心が折れてしまうのでは無いか、自分の過ごした時間が無意味で間違っていたのだと思ってしまうのではないかと心配になってしまいます。私は辛くても悔しくても前を向くkき、目の前の現実と向き合い続けた人はアイドルであってもなくても、称賛されるべきだと思います。こんなにも人を支えて、あなたが居たから救われたと思っている人が現実に居るのですから、推しの人生は絶対に間違っていません。誰かから何と評価されようと、推しには自分自身の歩んだ人生の素晴らしさを見失って欲しくないです。今の自分そのものを認めて、自分の事を誰よりも愛して欲しいです。
私なんかの言葉では正直大して悔しさは晴れません。でももし悪い偶然が重なってしまい、今にも心が折れそうだった時に支えてあげることぐらいの事はできるかもしれません。だからこの先も「あなたに元気をもらった」「一生懸命な姿を見せてくれてありがとう」と欠かさず伝えていきたいです。
その時々の選抜かどうかの序列はきっと重要じゃないと最近は思います。推しがこの先の人生でずっと「あの時アイドルとして過ごしてよかった」「あの時過ごした日々は間違っていなかった」と思ってくれる事が本当に本当に大切な事だと思います。