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目の前にある 温かくてジューシーで美味しそうな料理と 冷めてパサパサしてて不味そうな料理と。 「お好きな方を召し上がれ」 と言われたらどっち食べる? 素直に美味しそうな方を選べば良いよね。 なのに、 『好きな方なんて、都合の良い事があるわけない』 『美味しそうな方は、あとからお金請求されるかも』 『私にはどうせ冷えてパサパサが似合ってるんだ』 とかグチャグチャ考えて、不味い方を選ぶ人がいたら。 おいおい、なんつー被害妄想・・・・って、あきれません? でもこれ
しんどいけど、楽しいこともあるから、続ける のと、 楽しいから、しんどいことがあっても、続ける のとでは、 似ているようでえらい違う。恐ろしく違う。鬼違う。 この文面だけで見ると、そりゃあ楽しいベースを選ぶと思う。 だけど、事実、体験すると体感に惑わされる。 どういうことか。 「しんどいベース」に現れる「楽しい」は、 時としてめちゃめちゃ価値あるように感じるから、 「楽しい」のグレードが自動的に高設定される。 こうなると、この「楽しい」をご褒美に頑張れてしま