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らしいよ、知らんけど

らしいよの情報の連続に私はもうそろそろ飽き飽きしていた。

父親がこれ見よがしに買って我が家に持ち帰って来た当時最先端のソニー製ノートPC
「VAIO」であったが、前に買って来たセガサターンと同じパターンでものの1週間で電源すら付けなくなり、私が両親の隙を見て夜な夜な使いまくると言う構図が繰り広げられていた
まだ私が中学生だった西暦2000年ごろの話である。

今になって思うがおそらく父親なりの照れ隠しもあったのであろう、飽き性なのは私の遺伝が示している通り父親も同じなのではあるが、
ある程度構造や使い方がわかってくるとすぐに飽きて来てしまうのであろう。
私も全く同じ性格なので気持ちは分かるがそれにしても新製品が出る度必ずと言っていいほど買ってくるバブリーな時代と家庭であった。

しかし、今度来たVAIOは今までの物とは一味違った。
PlayStationのバイオハザードのことではないので紛らわしくて申し訳ない。我が家にPlayStationは無いのである。

電話線からインターネットとというものに繋げるととめどなく情報が溢れてくる。
使い始めてすぐこの機械には使い方に制限が無いと使うワクワクが止まらなかったのを鮮明に覚えている。

VAIOを買って来た当の父親はインターネットへの関心はかなり薄く、たまに調べ物で使うくらいでおそらく電子辞書で事足りるであろう使い方しかしていなかった。
母親は全く触らず弟は私が独占している為触る時間など当然なく
早くも我が家では私専用機と貸してきたVAIOであったが、その使い方を完璧にマスターしているのは勿論私しかおらず、年賀状ソフトをインストールしてプリンターと繋げて年賀状を印刷するという作業を頼まれた時にキッチリお小遣いを巻き上げて作業をするという中一ながら血の繋がった家族相手に中々アコギな商売をしていた私ではあったがそれだけインターネットとパソコンというものにかなり魅入られた中学校生活だったと思う。

当時通っていたJr.ユースのサッカークラブでの活動も殆どそっちの気でパソコンに夢中になり続けた私は、あまりにずっとPCを触り続けているのが遂に親にバレてPCにパスワードを掛けられてしまった。

VAIOに関してもあまりに私が使い過ぎるのと仕事で使うと言う名目で家から持ってかれてしまい、二代目家庭用ノートPCメビウスというSHARP製のPCに変わり我が家のリビングに鎮座していた。

OSもWindows2000からWindows xpへとアップデートされており本来は起動すると家族ごとにアカウントを分ける事が出来るのだが私はあえてアカウントを1個だけにしてそのリビングに置かれたPCを運用していた。

そう、こうして親にPCばっかり触って!と制限を掛けられた時の為の保険を既に先んじて打っていたのである。正に平成の諸葛亮孔明とは私の事である。

この時を待っていたと言わんばかりばかりに
ログイン画面でコマンド
「Ctrl+shift+space」
を二度と素早く叩きキーボードはタタっと美しい旋律を奏でる。
アドミニスター権限で無事Windowsにログインをしインターネットに繋げる私はさながら天才ハッカーの気分でいた。

その後も携帯に掛けられた未成年フィルターを突破したり、パスワード解除ツールをCDに焼いてDOS画面から強制的にパスワードを書き換えたり、時にはOS事入れ替えたりと親とのPCを巡る攻防は3年にもわたって繰り広げられたのだが、等々私は中三の冬休みの期間を使い親の知り合いのツテで泊まり込みでホテル清掃のアルバイトを5泊6日程でこなし、そのアルバイトで稼いだ6万円ほどを全額友達のPCオタクに頼んで一緒に秋葉原を周りついに自作デスクトップマイPCを手に入れたのであった。

作業代で1万円と言っていたが5万円でモニター付きでここまでのスペックが作られるとは正直私も驚いたくらいの良いPCであった。

そこからは部屋に閉じ籠り学校とサッカー以外の時間を全てPCに注ぎ込んだ。
アニメオタクになったのもこの頃である。

しかしインターネットについては流石に熱が冷めつつあった。
この頃はデータであれば手に入れられない物はないと言わんばかりにファイル共有ソフトやp2pなどを駆使して友人とNASでサーバー運用をしてアニメや映画をクラウドで共有するまでになっていた。

日々映画やアニメを貪る様に鑑賞しブログや世界のHPを巡り情報を収集していたのだが
かの有名な人物が言った
「嘘を嘘と見抜ける人にしかインターネットを使うのは難しい」
という格言にもある通りその情報の精査を辿る術が当時の私にはまだ無かった。
そもそもそこまで真の情報どころかまだまだインターネット判明期だったのもあり、日本語の情報が落ちていなかったのもその情報の真偽を確かめる術は最早自分の目で見て確認するしか無いという確信にも変わった。

どんな情報が書いてあっても自分の目で見て確認するまでは100%信じない。
私は普段はロマンチストを謳ってはいるが情報に感しての線引きをするようになったのはその頃からの習性だったとも言える。

今の時代情報が錯綜し真の情報がより分かりにくくなって見つけにくい世の中そしてインターネットの情勢と成長に期待を持ち続けているのは今も変わらないが友達や知り合いから
言葉の語尾に
「らしいよ」
「知らんけど」
この言葉が続く限り私は自分の肉眼で確認するまで情報の精査の旅を続けるのであろう。
終わり


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深世子羽月
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