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なぜ体癖を学ぶのか2

こんにちは。Huiziです。
今回は、前回のnoteで不十分だったところや、もう少しだけお話したいところを書きたいと思います。

自分のことが一番よく分からない


体癖は、もちろん学ばなくても生きていけます。でも、学ぶと人間(自己・他者)理解が格段に進むのと、自分のバイアスから出ることができるので、平たく言うと人生の幅が広がる気がします。
繰り返しになりますが、体癖を知らないと自分のバイアスからしか人間を理解することができません。もちろん小説を読んだり映画を観るなどしても人間理解が進むかもしれませんが、それに特化した体癖を学んだほうが楽ちんかもしれません。
例えば、私事で恐縮ですが、私は昔から正義感が強く堅物で、尚且つ不器用で鈍感でした。(今もそうですが。)何かを始めてもなかなか上達せず、ひたすら努力一辺倒。脇目も降らず人目も気にせず努力していました。そんなちょっと扱いづらい感じなので、砕けた友人関係ができない。変に正義感だけ強いので時々誤解を生む。書いてるだけで辛くなってきましたが、特に思春期まではそんな感じでした。社会人になってからは少し落ち着いたものの、その正義感が強く、良く言えば弱い者に強く共感してしまうところや、堅物で不器用で鈍感なところは残っており、自分真面目さや正義感の強さに押しつぶされそうなこともありましたが、自分でもそんな自分が理解できず、なんか上手くいかないなと思っていました。
でも、体癖を学び、自分がある体癖であるということが分かったことで、今までの自分の行動や考え方が、そうだったのかと理解でき、自分というものが初めて腑に落ちました。初めて自分のことが言語化・表現できたと感じたのです。
それまで自分が普通・標準だと思っていたので、自分の感受性が他者といかに違うかを、自分の体癖を知って初めて理解ができた気がします。

ジャッジすること・善悪


しかし、自分の体癖が分かったと同時に、前回もお話しましたが「○種だから」と体癖を言い訳にする場面も出てきてしまったことは私においては事実です。「ジャッジしない」という言葉がありますが、辛くなると時々やっぱり体癖の善悪をジャッジしてしまう、正直私はまだその過程にいます。

短所は長所

でもよくよく考えてみると、長年苦しんだ正義感が強いところも必要な場面はあるし、執拗に努力するところも堅物で不器用なところも、ひっくり返って愛すべき長所なのだなと最近思えてきました。それに、体癖を知ってから頑なになってしまう場面でも、またまた頑なになってるぞと自分にツッコミをいれることも時々ですができるようになってきました。
短所は長所、愛すべきところだと思います。
唐突にまとめになってしまいましたが、体癖を知れば人間(自己・他者)を許して生きやすくなるきっかけを手に入れられるかもしれません。
今は、体癖(名越式性格分類)の講座をされている方が何名かいらっしゃいますし、もちろん本家の名越康文先生の講座も毎回テーマが違って面白いです。ぜひ、一緒に体癖を学びましょう。

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