ラブライブ!における「白い羽根」の意味 ガチ考察
初代ラブライブ!から、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会まで含めた、アニメ ラブライブ!シリーズにおける「白い羽根」の意味を考察していく。
ただ、おそらくこの議題はn番煎じのことだろう。だが私が書きたいから書かせてもらう。
はじめに
さて、ではアニメ「ラブライブ!」シリーズの劇中では、誰が”白い羽根”を手にしていただろうか。
まずはμ'sの全員だ。二期のEDにて、全員が白い羽根を授かり、微笑んでいる。これは周知のことだろう。
次にAqoursでは、リーダーの高海千歌が一期12話の終盤にて白い羽根を授かっている。彼女は二期7話にて、もう一度羽根を授かっている。
それから劇場版では、鹿角姉妹が羽根を授かっていた。
そして虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会では誰が授かっていただろうか。虹ヶ咲では、羽根を重大に映す場面が無かっただろう。しかし重要に映っていた場面がひとつだけある。それは、天王寺璃奈のライブ衣装である。彼女の衣装には白い翼が付いていたはずだ。これも考察の対象となる。
加えて、スーパースター!では1話で澁谷かのんが授かっていた。
その他としては、黒い羽根を津島善子が受け取っていた。これの意味については、私の前回記事「堕天使ヨハネ論」にて詳しく説明しているため、そちらを参照して欲しい。
読者はこの羽根の意味をどう捉えているだろうか。夢、と解釈している人が多いだろう。その解釈でもいいだろう。解釈は無限にあって然るべきだからだ。彼女たちが夢を掴んだとき、羽根が託される。
私の解釈は、ぶっ飛んだ話ではあるが、神に近づいた時だ。彼女たちが否定を覆し許容を知った時、羽根が託される。これについて、解説していこうと思う。
人間の持つ力
話がややこしくなってしまうので書くか迷ったのだが、これを書かなければ話が分からなくなってしまうので書かせていただく。
人間の持つ力は、選択の力である。これは再三言われていることだ。ただ私は、少しこれはズレていると感じる。
私が考える人間の持つ力は、否定と拒絶の力だ。これにより、人間は選択をする権利を得ていると考える。己を否定し、他者を拒絶する力、と言えばいいだろうか。須らく人間はこの力を持っている。
そしてラブライブは、そんな否定する人間が己を認められるように、というメッセージが強く込められている。これについては、以下と、サンシャイン!!を注目して見ていればわかることだろう。ラブライブ!は、単純な百合アニメではない。
白い羽根を授かる時
白い羽根は天使の象徴である。天使――すなわち神族が、人間を成功へと導く意味を持っている。
そして、神族は人間ではない。つまり、上述の通り否定と拒絶の力を持たないのだ。神族が持つのは許容のみで、選択する力を持たない。ただ『運命』のままに成功を歩む。そういえばAqoursに、突然運命を言いだした人がいた気がする。
彼女たちが白い羽根を授かったのは、かつて否定していた己を認めた時だ。
私はサンシャイナーであるため、千歌を詳しい例に挙げさせてもらおう。
千歌は一期、自分を普通の人間だと否定し、内浦には何もないと環境を否定していた。しかしAqoursのメンバーと触れ、学校の生徒と触れ、内浦の豊かな人間と触れ、次第に意識が変わっていった。
そして一期12話、ついに、かつて否定していた己を信じ、認めた。そこで白い羽根を授かったのだ。
続く二期7話、努力むなしく廃校が決まり、今までの己とAqoursと、信じてきた輝きと過去とを否定していた。その時、学校の生徒から信じる力を受け、そんな否定を覆し、もう一度己と、全員と、今までを認め、信じた。そんな時、もう一度白い羽根を授かった。
また、μ'sでは特に自分を否定していた人が多かっただろう。凛や花陽は分かりやすい。自身の可能性を否定し、また道が分からなくなった時、信じる者に道を授ける。こういう意味では、μ'sを導き、全員に可能性を示した希はスピリチュアルを連呼しているだけあり、既に神族に近い存在であると言えるだろう。そんな希も、可能性を否定し、白い羽根を授かっていたが。
虹ヶ咲学園では、天王寺璃奈が唯一白い羽根を授かっていた。
彼女は幼い頃から両親が家にいることが少なく、表情筋が死んだのか、感情を顔を出すことができなくなっていた。それゆえ、心の中では笑っているのに、表情が強張っているせいで上手く伝わらないことが多く、対人関係が上手く構築できず悩んでいた。しかしそんな自分を変えようと、同好会に入り努力をし始めた。が、不結果に終わり、何も変わらないと嘆く。段ボールに閉じこもり、己を否定し外界を拒絶していた。正しく人間である。
しかし最後には、そんな否定していた自分を認め、欠点と言える部分まで受け入れた。そしてその後のライブでは、彼女は白い羽根を纏っていた。
流れを見れば、衣装ではあるが、これは他と同じ白い羽根であると考えられるだろう。
スーパースター!では渋谷かのんが授かっていた。これはラブライブ!の続編であることも含めて極めて分かりやすい。ヘッドフォンによる外界の拒絶と、自分には無理だという可能性の否定。拒絶を伴う平穏と、否定を伴う安息。これほどまでに美しい人間ドラマは無いだろう。
このように、可能性の否定や拒絶を覆し、許容を知り、信じることを覚えた時、人間は白い羽根を授かる。
ちなみに、黒い羽根は堕天使の象徴であると津島善子が言っている。私もそれに同意する。堕天使とは、否定と拒絶の力、すなわち人間の力に染まった神族のことである。詳しくは、私の前作記事である「堕天使ヨハネ論」を一読してほしい。
「白い羽根」というキーワード
このように、ラブライブ!シリーズには重要な要素として白い羽根が登場している。そしてそれは、作品を追うごとに少なく、そしてハッキリと映らなくなっている。
μ'sでは全員が悩み否定し、全員が信じ認め、全員が白い羽根を授かった。
Aqoursでは千歌や善子が悩み否定し、そして信じ認め、白い羽根を授かった。私の記憶があいまいではあるが、劇場版では(冗談の域ではあったが)現実のヨハネに触れて善子も白い羽根を持っていたように記憶している。
そして劇場版の最後には、全員が白い羽根を衣装に着けていた。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会では、白い羽根を重要に映す場面は無かった。が、上述の通り、天王寺璃奈の衣装にのみ、Aqoursと同じように白い羽根が着けられていた。
私はこれについて、テーマの移り変わりによるものだと考察する。
ラブライブ!のテーマ
初代ラブライブ!(以下便宜上、初代ラブライブ!のことをラ!、サンシャイン!!のことをサ!!、虹ヶ咲のことを虹と書かせていただく)では、全員が悩める高校生であり、それぞれが否定と拒絶の下にいた。
分からない方のためにもっと詳しく説明するならば、真姫と絵里は他者の拒絶、海未とことり、凛と花陽、終盤の希は可能性の否定、逆に穂乃果と希は可能性の肯定である。詳しくは注目してアニメを見返して欲しい。
そして、それを導いたのが穂乃果と希である。穂乃果は可能性を信じて常に前向きで、希は運命を知っているかのような立ち回りをすることが多い。
ラ!のテーマは、「自分が信じられないあなたへ」であると考察する。
自分を信じ、他人を信じ、可能性を信じるためのアニメであり、テーマである。
サ!!でもまた、否定と拒絶を示す人間が多かった。
千歌は己と内浦を否定し、輝きと過去を否定した。梨子は自分と過去を否定し拒絶していた。曜は千歌や梨子への想いを拒絶していた。花丸は自分の可能性を否定し、ルビィは自分を否定し姉に頼っていた。ダイヤは千歌たちの可能性を拒絶し、己の過去も否定していた。果南はスクールアイドルの自分と可能性を拒絶し、鞠莉は昔のAqours時代に他メンバーを拒絶し解散した。
こう書くと、ラ!と同じように否定と拒絶を克服して自信を持つ物語に見える。
だがこの中で、白い羽根を手にしたのは誰か?
明確に手にしたのは千歌だけである。他メンバーはここまで否定と拒絶に塗れていたのにも関わらず、明確に羽根を手にすることは無かった(ただし、羽根を持ったメンバーは善子と花丸がいる。善子は堕天使として黒い羽根を、花丸は未体験HORIZONにて蝶の羽根を授かっている)。
さて、これがどういう意味を持つのか。己を否定していたルビィや花丸が自分を認めたところで、白い羽根を授かってもおかしくなかったはずだ。当然、それでも納得できるだろう。しかし、そうはならなかったのだ。それはなぜか。
私は、彼女たちはすでに、己の可能性を信じていたからではないか、と考える。
花丸は自分にはできないと偽って(偽りは真実の拒絶である。)いたが、実際にはできる自分の可能性を信じていた。
他も同様に、自身は可能性を信じていたが、偽っていただけではないか。
否定を覆したわけではない。信じることに素直になっただけである。そのため、白い羽根を授からなかった。
特に偽ると言えば、堕天使が好きな自分を隠し、偽って生きていこうとしたメンバーがいたことだろう。
ラブライブ!サンシャイン!!は、そんな偽りの物語である。
サ!!のテーマは、「今一歩が踏み出せないあなたへ」と考察する。
自分を信じ、他人を信じた人間が、今成功への一歩を踏み出すためのアニメであり、テーマである。
ラ!にて自分を信じることを覚え、サ!!にて信じた自分に素直になることを知る。
そのため、ラ!とサ!!はれっきとした続編であると考えられる。
スーパースター!は未だ情報が足りないため詳しくは書けないが、皆さんが感じた既視感の通り、大筋は同じになるはずだ。
なぜならそれがラブライブ!のテーマであり、伝えるべき核であり、ラブライブ!らしさだから。だから既視感を覚える。
しかし上に書いた通り、既視感があり、新キャラクターを既存キャラクターの要素の複合と考えようとも、少しずつテーマは現代に合わせて移り変わっている。それを注意深く考えながら見るとより面白いだろう。
では、虹はどういう物語だったのか。
虹は他二作とは異なり、かなり先進的な物語である。全員が全員を認め、自分自身を認め、前を向いて進んでゆく物語であった。そこに否定が覆る要素は少なく、あって璃奈としずくの二人だけだろう。
彼女らは、すでに羽根を手にしているようなものだ。歩夢は少し拗らせて拒絶していたが、それも解消された。また、特にせつ菜と侑は神族の近い存在であると考えられる。せつ菜については、私の前々回記事の「優木せつ菜という宗教」を閲覧していただければ幸いである。
虹のテーマは、「この世界に生きるあなたへ」であると考える。
人間全員が、互いを認め、己を認め、全てを許容して生きられるように、という願いが込められていると考えられる。
ちなみに、公式のテーマは「多様性」である。悪しからず。
以上より、劇中に白い羽根が登場する回数が減ったと考える。
その他
実際の内容に書くほど濃い話でもないことを述べさせていただく。
天王寺璃奈のコールである「天使、天才、天王寺!」について。
上に述べた通り、璃奈だけが白い羽根を授かっていた。これはこのコールと合わせて衣装を考えたともとれるが、アニメと合わせて考えれば天使に近づいた存在であることが考えられる。
また、「堕天使ヨハネ論」では、神族に近い人間は天才であることを、よく言われる”天才の早死に”と関連させて書いている。
一件して脈絡のない(?)コールであるが、深く考えれば、いや。深く考えても、この「天使、天才、天王寺!」のコールは全てピタリ当てはまっている。
上には一切書かなかったが、白い羽根、すなわち天使の羽根はより高い世界へ、高みへと羽ばたくための翼である。
そのため、夢を掴み世界へ羽ばたいていくのが白い羽根の意味だと考察している人が多いようだ。もちろん正しいだろう。私も正しいと思う。
終わりに
何から書けばいいのか少し迷ってしまい、好き放題に書いてしまったことを先に謝罪する。分からないことや納得できないことがあれば、私の他記事の一読や、質問していただければ幸いである。
まとめとして、以下である。
白い羽根は、天使の象徴であり、神族へと近づいたことを意味する。
白い羽根は、人間の力である否定を覆し、神族のように信じ認めることを知った時に授かる。
私が以上に書いた根拠とテーマをもとにもう一度アニメを見直すと、より深く見られるだろう。ラブライブ!は正規に天使と女神に近づく人間の姿を描いた物語である。ただし、見方も多様であるべきだ。もちろん、私がここに記したような深い見方ではなく、この記事を読む以前のように軽く見ることも良いと思う。
それでは、最後まで読んでいただいたことに感謝して、締めさせていただこうと思う。ありがとう。
適宜 追記、修正致します。
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