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母アツコの朝ドラみたいな人生に誰かタイトルつけてほしいその2

アツコ伝その2

このおはなしの続きです
https://note.com/hugread_me/n/n31e3f2b0955a

70才の今となっては考えられないくらい
引っ込み思案でおとなしかったアツコ

彼女が朗らかでよく笑うおばさんになったのは
40歳を過ぎてから
息子の中学校入学を機に、PTA役員で仲間ができたことで、少しずつ社会との関わりを持てるようになったところから始まる

若かりしアツコは常にイライラして、娘のどんくさい失敗にガチギレし続けながら、
子供二人をチャリに乗せてどこまでも買い物に走っていた
2歳と3歳の2人の子を乗せて走っている最中に、車にはねられたこともある。3人とも奇跡的に無事で、踏ん張った時の左肘がしばらく真っ青だったことは、アツコのど根性をものがたるエピソードである

明るくなってくる少し前、アツコ最愛のお母ちゃんが、心筋梗塞で突然亡くなり、アメリカに住む妹に電話で連絡したときも
涙ひとつもこぼさずに、静かに報告したという

その頃には、はらわた煮えくり返るほどに嫌いになって来ていた旦那が、福岡へ単身赴任となり
足枷の取れたアツコと我々兄妹は、それぞれに自由な時間を謳歌し、ストレスのない宴のような3年間を過ごしていた
(高校時代はパッとせんかったし、別に楽しくはなかってんけど、それはまた別の話)

単身赴任で羽根を伸ばしているはずの旦那が、タクシーにはねられて骨折したまま帰宅してきたり、治ったかと思えば脳梗塞で倒れたり、旦那の病気に奔走し始めたのもこの時期である

そして高校を卒業した長男が、進学先の専門学校をあと3ヶ月で卒業という頃に中退したいと言い出し、同じく短大に進学した長女も、入って2ヶ月で辞めたいといい出し
またその頃に、ろくでなしやもめのお父ちゃんが脳溢血で倒れ、入院を経て自宅介護が始まった

つづく。

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えーみぃ 青木エミ
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