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母アツコの朝ドラみたいな人生に誰かタイトルつけてほしい完結

3回にわたってお話ししてきた母アツコ(仮)の人生譚。これが最後となりますかどうか。

基本的にアツコはパワフルである
娘と孫と行ったディズニーランドで、お昼寝をさせる為にホテルに帰った時に「ほんならその間、わたし日暮里行ってくるわ!」と趣味のビーズや洋裁の生地探しに出かけ、2時間後ほくほく顔で帰ってきて、閉園時間まで何事もなかったかのように歩き回り楽しそうにしていた。そんな50代見たことない。っていうかすきま時間にそんな移動しようと思うか普通

今はもうさすがにそこまでの体力はないものの、20年続けた保育補助のパートには、今も週5で通っている

土曜夜の情報テレビ「アド街っく天国」を欠かさず視聴し、熱心にメモをとっている。東京にウィークリーマンションを借りて、月の半分は東京で遊ぶということが現在の夢であると語るアツコ

さて。娘の私が母の過去について、こんなに詳細に語れるのはなぜか(実際はここに書ききれないほどにもっと色々あった)。それはここまでお読みいただいた物語を、幼少期から何度も何度も繰り返し聞かされ続けたからである。人の話は聞かないとあかんもんや、と思っていた私は「前も聞いたなぁ」と思いながらも相槌を打ち、時には合いの手を入れながら、アツコの気の済むまでそれに付き合っていた。もう二万回は聞いた。

幼い頃からそんな風に不幸に見舞われ続けた母の人生を、マントラのように耳でなぞってきた私は、もはや不幸のサラブレッドであった。おかげで傾聴力が少しは身についた気がする

アツコほどではないにしろ、わりといろんなことが起こりがちな人生を私自身も歩んでいる。のにも関わらず「お母さんに比べたら、こんなもんは不幸に入らん」という気持ちだったのか、しんどいことに対して不感症であった

そのことに気づいたのが、数年前

もう、しんどいことをわざわざ選ばんでいいし、
無理なことは手放していい
できないことは人にお願いして、自分が役に立てそうなことは頑張る

そんな風にシフトチェンジして、人生をイージーモードに変えることにした

この2022年は、その残りの波が遅れてやって来たような、わりかし大変な一年ではあったものの、つい先日アツコからこんな言葉を聞いた

「お父ちゃんがもっと普通の人やったら、わたしもこんなに強くなってへんかったかもしれんから、これはこれでよかったんかなと思うわ」

度重なるひどい目に遭いながら、それを後生大事に抱えて、人とのコミュニケーションには、リアクションをもらえるエピソードを披露し(おもしろ話に加工する能力には恵まれなかったらしい)、自分の好きなことには貪欲に、笑っちゃうくらいささやかな楽しみを叶えて行こうとするアツコ

70を越えた母から初めて「これでいいのだ」を聞けて、心が震えたしなんならちょっと泣いた

「あんたが羨ましいわ」と言っては、私の真似ばっかりしてきて、私の人間関係にも入ってこようとして、そこで自分の話をしまくるアツコに苦言を呈したことも一度や二度じゃない

けど、人のためならいくらでも献身的に動き回れるあの人の芯の強さを、本当にすごいなと思う

病気のエレクトリカルパレードを繰り広げ、しまいには一級の障害者手帳を取得した父にも
「おかんはすごい人やで。あんな強い人みたことない」と言わせる人間性

お母さんはかわいそう、って思ってたけど
スーパーサイヤ人くらいタフな人であった

ここからの人生はせめて、穏やかに好きなことを楽しんで行ってほしいなぁと、そんな風に感じる年の瀬

常々、自分の人生を本にしてほしいわ!と語るアツコの希望には添えないかもしれないが
稚拙ながら、彼女の人生を見て来た娘として
ちょっと記録をつけておく

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