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嵯峨野綺譚~カニばばあ~
カニばばあの本名は野村スミといったらしい。
丹後半島の久美浜あたりの人だという。
いつも同じ時間の列車に乗って、JR嵯峨嵐山の駅前に現れた。
木製の背負子を背負って、その背負子には大きな松葉ガニを何匹も納めた木箱を括り付けていた。
上等の松葉ガニを扱う行商の婆さんがいる、ということで何人も客がついた。
最初のころは現金を受け取っていたが間もなく物々交換を求めるようになった。
「今とはお札が違うんで持って帰っても使えんでのう」
カニばばあは昭和30年代からここに来ているらしい。
いやそうじゃない。「昭和30年代からずっと続けて」という意味ではなく「昭和30年代から現代に」だ。
行商仲間の婆さんも何人かいるようだが、「あの子らはここへは来れんわな」と笑う。
「ここまで来れるんはウチだけや」
物々交換の品物も、最初は米やインスタントラーメンを喜んでいたが、やがてスナック菓子やレトルト食品を欲しがるようになった。
「みんな珍しがるからね。どこから手に入れたんや?いうてね」
電気製品はお断りのようだ。
「よう使わんわな」
その日もカニばばあは機嫌よく商売をしていたのだが、嵐山商店街の理事が文句をつけた。
クリーニング屋の井上だ。
「誰の許可取ってここで商売しとるんや」みたいなことを言って商店街の事務所に連れていった。
婆さん嫌がったらしい。
「列車の時間がありますのんや」
「かまわんがな。一本遅らせたら」
「あきませんのや。4時15分発の園部行きに乗らんとあきませんのや」
結局4時15分には間に合わなかった。
物々交換した荷物は事務所に放っぽり投げて、婆さん空の背負子だけ担いで駅まで駆けたらしいが改札口のところで列車は行ってしまった。
「あれに乗らんといかんかったんじゃあ。6号車の便所。便所に入らんといかんかったんじゃあ・・・」
泣き喚いていたらしい。
その後どうしたかって?
いや知らない。
以降、カニばばあは現れなくなった。
(了)