嵯峨野綺譚〜ピエロ〜
その店はJR嵯峨野線の踏切の脇にあった。
昭和50年代からある店で、当時嵯峨では珍しいパスタやピザを食べさせる店だった。
食事の美味さとともに評判だったのは店頭のピエロだった。
手回しオルガンを奏でながら道行く人々に微笑みかけ、観光客がカメラを向けるとおどけたポーズをきめてみせた。
アートバルーンで犬や剣を作って子供に配ったりした。
その店のオーナーが扮しているとも、雇われの元大道芸人だとも言われていたけれど、本当のところは地元民の僕にもわからなかった。
その日もピエロは店頭に立っていた。
黄色いジャケットに紺色のとんがり帽子。水色のアイメイクに真っ赤な鼻。いつもの装い。
駅に向かう道すがら、いつもならピエロが立つのと反対側の歩道を歩くのだが、その日は渡月橋の方からインバウンドの団体客が大勢やってきたので彼らを避けて道を渡り、ピエロのすぐ横を通ることになった。
ちょうどそこに人力車が通りかかった。
東南アジア系の観光客のグループが2人ずつ3台に分かれて乗っていた。
ピエロの後方にある機械からシャボン玉が噴き出してきて、手回しオルガンが「イエローサブマリン」のメロディを奏でた。
「Ohooooo!!」
車上の観光客が声を上げた。
ピエロはニッコリ笑って手を振り、人力車夫は軽くお辞儀をした。
車上の女性客は膝の上の子供とともに手を振り返した。
前の2台がゴトゴトと踏切りを渡り、3台目の人力車がピエロの前を通り過ぎようとした時、笑みを浮かべたままピエロがつぶやいた。
外見とはいささか不釣り合いな野太いしわがれた声だった。
「ケッ。他所者どもめが・・・。」
顔は車上を向いていたが、目は既に観光客を捉えてはいなかった。
目線の先には小倉山の上に広がる秋空に白い雲が浮かんでいた。
(了)