愛宕山ケーブルの廃墟

画像1 愛宕山頂近く、7合目の「水尾分かれ」のすぐそばから脇道に入ると数分で、戦前まで愛宕山にかかっていたケーブルカーの山頂駅の跡地に着きます。
画像2 内部の様子。太平洋戦争の戦況が悪化して経済情勢がひっ迫。日本社会が娯楽どころではなくなってきます。その結果「鉄材供出」の名の下に愛宕ケーブルも廃線となり、レールをはじめ使われていた鉄骨が剥がされてしまいます。
画像3 この地にはホテルや遊園地もありました。北山麓のスキー場と併せ、戦前の愛宕山は一大リゾート地だったのです。
スキー場跡201404 愛宕山の北山麓は高原状になっていて、急峻な南山麓とは植生も含め、大いに趣が違います。その斜面を利用して、かつてはスキー場があったそうです。
画像5 麓のケーブル線路跡。奥にトンネルが口を開いています。山頂までに3-4つのトンネルがあったようですが、現在は立ち入り禁止です。トイカメラで撮影。
画像6 麓の方では、登山道と軌道跡が並行して走っています。
画像7 登山口脇にある山麓駅の跡地。石段とプラットフォームのコンクリートが茂る青葉の陰に蹲っています。
画像8 プラットホーム脇には、ケーブルの歴史を示す案内板が。

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