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短編小説 追跡~その5~
前回までのあらすじ
出張先の四国の寂れた港町で、「僕」は姿を消した昔の恋人、鴨志田志津の姉と出会う。
「僕」は志津に瓜二つの彼女の娘が勤めるという「街並保存館」に向かった。
「いらっしゃいませ」
彼女はひそやかな、ほとんど聞き取れないくらいの声で、そうささやいた。柔らかな微笑みを浮かべて。
館内には人の気配がなく、その場所には彼女と僕だけがいた。
「ご見学ですか?」
念のため、という感じで彼女が訊いた。やはりささやくような声だ。
入館料を払うと、引き換えに薄っぺらなリーフレットを手渡してくれた。
何か話したかったが言葉がみつからず、僕は館内を歩き始めた。
建物の商店街側に沿って廊下が通り、奥側に展示室がいくつか並んでいた。
部屋ごとに江戸時代以前、江戸時代、明治大正、昭和、平成、そして現在と、その時代々々のこの街並みを象徴するような写真や図版、模型や遺物などが展示されていた。
僕は明治大正の部屋の片隅にあった椅子に腰掛けて、さっき彼女がくれたリーフレットに目を通した。
それによるとこの街は、古代より塩作りが行われていた地域で、17世紀頃から本格的な塩田事業が行われていたらしい。明治に入っても塩田の街として栄えたが、瀬戸内の海運や漁業の拠点でもあったらしい。
「昭和、特に戦後は当市を囲む一帯にも工業集積が進み、海運の利を生かした瀬戸内工業地帯の中核都市のひとつとして繁栄しました」とは、リーフレットの解説文。
「そして、平成の幕がまさに開かれんとする1988年、瀬戸大橋が開通。その四国側の玄関口となった当市は、ここに新たな歴史の幕が開かれたのです」
何度も幕を開けるのが好きな解説文だが、歴史の解説はここで終わっていて、その後のこの街の移り変わりについては触れられていなかった。
「当館は、江戸期より塩田、海運業者として栄えた久米屋の一族の者が大正期より当地で醤油の製造販売を営み、その事務所として昭和の末期まで使用され、その後放置されていたものを当市が借り受け、改装したものです。この近辺には、幸いにも戦災を逃れた明治大正の建物がいくつか残り、また戦後再建された家々にも古き良き昭和の表情を色濃く残す商家も少なくありません。当市は当館をそれらを代表する建物として位置付け・・・」
なるほどなるほど・・・。街の衰退、商店街の衰退が進むにつれ、古い建物が空き家になって放置され、始末に困った自治体当局が、街おこしも兼ねて開館した・・・。そんないきさつが透けて見える。
リーフレットによると、建物は二階建てで上階には「ミニシアター」があって「四季折々、時代々々の、当市にまつわる様々な映像」が放映されているようだ。
木製の、ワックスが塗られて古い学校のような匂いのする階段を踏みしめて二階に上がった。
二階は半分が資料館になっていて鍵がかけられていた。ミニシアターはその奥の、階下に降りる階段の脇にあった。
中に入ってみる。誰もいない。
大きなディスプレイがあって、椅子が数十脚、少し列が乱れて並んでいた。
「何かご覧になられますか?」
振り返ると、入口に彼女が立っていた。
「お仕事か何かで来られたんですか?」
「あ、いや・・・」僕は口ごもった。
「けっこういらっしゃるんですよ。この時間帯には、あなたのような方が。きっとマリンライナーに乗るための時間調整なんでしょうね」
彼女は相変わらず小声だったが、端正で理知的な口調で話した。
比較的声が大きく、どちらかというと甘ったれた感じで話した志津とはだいぶ印象が違った。
髪を短くカットし、ベージュの地味な、けれど品の良いスーツを着ている。
記憶の中の志津がスーツを着ているイメージはどうにも湧いてこなかったが、それはそれとして僕は彼女に好感を持った。
僕は昨夜の彼女の両親の店での話をかいつまんでして、ここにやって来たことを告げた。ただ、志津のことは話さなかった。
「まあ。ウチの両親、そんなことまで話したんですか? いやだぁ・・・もう。でも懐かしいわ、京都。嵯峨の地元の人達と一緒に、行灯を作ったり、花燈籠を作ったり・・・。地元のイベントで飾ってもらったりしたんですよ」
彼女は一瞬懐かしそうな目をしたが、気を取り直して僕に映像のメニューのようなものを見せた。
「どれもだいたい10分くらいの映像が多いんですが、何かご興味を惹く題材はありますか?」
僕は明治から昭和にかけてのこの街の変遷についてのビデオを選んで、彼女にリクエストした。
彼女は手際よく映写機器の設定をして、「では私は下の受付のところにおりますので、見終わられたら声をかけていただけますか・・・」そう言って部屋を出ていった。
ヒールが階段を降りていく音が響いた。
(次回に続く)