短編小説 追跡~その7 最終回~
ここは、どこだ・・・?
人々は穏やかな顔つきで、ゆっくりと行き交っていた。
店頭には多くの人々が立ち止まり、店員と親しげに言葉を交わしていた。
蒸し暑い夕暮れどきで、「祝!瀬戸大橋開通」という横断幕のかかったアーケードの屋根越しに熱気と光が伝わってきた。日没までにはまだ時間がありそうだった。
瀬戸大橋開通・・・?
僕はその場に立ち尽くしていた。
冬物のスーツでベストをつけているため、やけに暑い。
手には、薄手のコートを持っている。
場違いな、あまりにも場違いな中年男が、賑わう商店街の中で立ち尽くしていた。
そんな僕を追い越していく男性の肩が、後ろから僕の肩甲骨あたりに軽く当たった。
「すみません・・・」
男は軽く会釈してそのまま歩いて行った。
「バブルの頃はね、肩を触れ合わさずには歩けなかったんすけどね。あのあたりも」
昨夜のおやじの言葉が蘇ってきた。
俺は今、どこにいるんだ・・・?
少し歩き始める。ゆっくりと、おずおずと。
見覚えのある果物屋が見えてきた。
昨夜、前を通った果物屋だ。
そこには確かに店主がいた。
店主は陽気に親しげに、グレープフルーツの乗った籠を手にお客に話しかけていた。
店には他に客が2-3人いて、商品もたくさん並んでいて、そしてなにより店主が若かった。
背筋がピンと伸びていて、髪には白髪がほとんどなく、よく日に焼けた張りのある肌が、電灯に照らされててかてかと光っていた。
どうなってるんだ・・・?
僕は呆然と人混みの中を歩いていた。
振り向いて方向を変え、商店街の入口に向かって歩き出した。前方にさっき出てきた街並み保存館が見えてきた。
華やぐ商店街の中で、そこだけは何故かくすんだ気配が漂っていた。
「久米屋醤油」と書かれた看板のかかったその建物だけは閉鎖されていて、黄色いレンガの壁面に藤波辰爾がファイティングポーズをとった新日本プロレスのポスターが貼られていた。
僕はたぶん、いや間違いなく、この建物から出てきたはずだ・・・。
その時、彼女が目に入った。
人混みの中をこちらに向かって歩いてくる。
さっきとは服装が違う。
白のTシャツにジーンズだ。髪を後ろに束ねている。
小柄だが肉付きがよく、グラマーな体つきがTシャツごしに感じられる。
少し垂れた大きな目が愛らしい。頬がふっくらとしている。
僕とすれ違った。
僕は軽く会釈したが、彼女は反応しなかった。
いや、視線は合った。
そして、目は、何かを感じたようだった。
それが何であるかを感じ取る前に、たぶん反射的に、彼女は目で僕に微笑みかけて、僕とすれ違っていった。
彼女ではなかった。
あれは、鴨志田志津だ・・・。
1988年の夏に学生街のアパートの前で別れたきり、僕の前から姿を消した、鴨志田志津だ。
「ワタシねぇ・・・。ホントは大学なんて来るつもりなかったの。地元の専門学校に行って歯科衛生士になろうと思ってたんです」
僕は再び立ち尽くしていた。
数秒して、おそらく数秒だろうと思う。何十秒もそうしていたような気もしたが、とにかく振り向いて志津の姿を探した。
何十メートルか先、人混みの向こうに志津の後ろ姿が見え隠れしていた。
ポニーテールが揺れている。
僕は急ぎ足で志津の後を追い始めた。
何人かに肩をぶつけて、訝しげな視線を浴びながら、僕はそれに謝ることもせず、志津を追っていった。
志津の後ろ姿が次第に大きくなってきた。
僕は、さらに歩調を早めていった。
(了)