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また日々、日常。

青木真也が大好きです。

青木さんを慕う人たちの事を「客」と呼ばれてます。
その方がお互いにフェアで来たくなければ来なくていいし、こちら側も断るよって意味だと認識してます。

私は、それはこの線から入ってくるなよ、俺を知ったふりするなって言われてる気がして、客でいるのも緊張します。

青木真也をフワッと知ってる方の印象を聞くと、
「冷たく難しそう」、「面倒くさそう」とか。
私も最初はそんな印象だったかもしれません。

ある時、彼のインスタライブを見ました。
とても、格闘技を生業にしてる様には思えず不思議な感覚でライブを見てました。
流れてくる短いコメントもしっかり反応してあげて、言葉を読み取り共感してくれる。失礼なコメントにも真っ直ぐ対応する。
驚きました。名が売れている人がこんなにナチュラルに暮らし、同じ目線で話してくれる。同じ世界に彼の様な人がいる。


この写真がとても好き


それからは、青木真也を貪るように探し求めました。
会った事も話した事もない人の影響をこんなにも受け
自分から逃げ誤魔化し言い訳ばかりの人生に向き合うことが出来てきて、救われました。

義理人情

彼は「客」を大切にしてくれます。義理人情の人です。
それを時に勘違いして踏み込んでしまいそうになっても、そっと違うよと帰らせてくれます。
決して恥をかかせないように。本当の優しさだと感じます。

“人が人に依存し幻想を抱き闇に堕ちると壊れます。
戻って来れなくなるくらいに終わります。”

試合が決まり試合までの様子を出来る限り見せてくれます。本来なら構ってほしくも語られたくも無いだろうし、こちらからの思いなんて重いだけだろうと察するけれど、それでも客は身勝手に彼の荷物の中に自分の人生や感情、愛をどんどん詰め込んでしまう。

ミニマリストなのに申し訳ないねって気持ち。

自分や近しく大切な人のために闘う事が出来たのだろうか。恐怖だけを1人背負って大好きな格闘技を楽しめなかったのでは無いだろうか。。

どんなに考えても分かるはずも無く、無責任に
暖かい部屋で手を合わせて祈り願う事しか出来ない。

所詮「客」なんです。

ただ、今は“青木真也”も“青木さん”も
“真也くん”も“でんすけ”も全部が幸せでありますように。

私は“感謝”って言葉を滅多に使いません。

心が深く動かされた時に使います。
11月19日。シンガポールにて
精一杯の懸命とケージに向かう姿を見せて頂き
感謝申し上げます。


今日も明日もこれからも青木さんを変わらずに
「好きです」。

あなたの生き方や才能に惚れてますから。

https://note.com/a_ok_i/n/nff0b0df51bb1


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