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蒼穹の果て 2001/4/29 天皇賞・春 (GI)~2001/8/19引退式

※ある一口馬主クラブの会報誌に寄稿した記事の再掲です。

 手元に戻ってきた横断幕には、少し染みが残っていた。雨の天皇賞・春から4ヶ月近く経つ。週末にはこの横断幕を持って、札幌へ発つことになっている。私は早速それをテーブルに広げて、アイロンをかけ始めた。
 横断幕の縁には競馬場の許可証が、文字を囲むようにぐるりと貼り付けられている。98年のダービーから始まり、東京、京都、中山、札幌…、それらはセイウンスカイの足跡と重なり、次の日曜日には10枚目を数える。そしてもう、増えることはない。今回はレースの応援ではなく、彼の引退式を見届けるための旅なのだ。
 シューッとアイロンから噴き出すスチームの音に耳を傾けながら、一文字、一文字をなぞるように細かいしわを伸ばしていく。
 「蒼穹の果てを目指せ Seiun Sky」。
 文字の端はところどころめくれ、汚れや染みも目立ちはじめていた。が、それもこの幕がその場所に在った確かな証。雨も埃もその日の空気も、全て生地に留めるよう熱気を圧しあてる。

 2001年天皇賞・春、セイウンスカイの復帰戦。
 私は京都競馬場に駆けつけることができなかった。TVで観たジュニアCでセイウンスカイに惚れ込んで以来、弥生賞からは何を置いても現地に足を運んでいたのに。
 99年天皇賞・秋の後、セイウンスカイは屈腱炎を患い、長い長い休養に入っていた。その間約1年と6ヶ月。1998年クラシック3冠では3強と並び称されたスペシャルウィークもキングヘイローも、既にターフを去っていた。
 私自身にも相応に時は流れ、一児の母になっていた。昼夜なく母を求める生後1ヶ月の娘を置いて淀に出向くのは、どうにも無理だった。
 淀行きを断念した私は、同じくセイウンスカイを応援し続けていたMさんに横断幕を託した。パドックに張れる横断幕の数には限りがあり、GⅠレースの前夜には競馬場の前で徹夜をしなければ確実には張れない。それでも、Mさんは快く引き受けてくれた。
 Mさんはネット上で知り合ったセイウンスカイファンページの管理人だ。私は郵便で横断幕を送った。幕の間にビール券を数枚しのばせて。これは祝杯の足しにしてください、とメールで伝えた。
 4月29日の復帰戦当日、淀は昼過ぎから雨。セイウンスカイは出走馬12頭中6番人気、単勝オッズは22.2倍だった。長期休養明けの初戦、馬体重は14kg増、パドックの映像からも馬体は明らかに緩んでいた。冷静に考えれば「買える」馬ではない。それでも単勝を握っている人々がいる。その何割かは彼を待ちわびた人なのだと思うと、胸の鼓動が高鳴った。
 発走の2時間ほど前、私ははち切れそうな思いを抱えきれず、自分が管理しているネット掲示板にこう記した。遠く離れた空の下で、ただキーボードを叩くことしかできなかった。
 「どうか無事にゲートに入って、無事にゴールしますように。ここまで君もみんなも頑張ったのだから、あとは君の思うままに走ってください」
 結果は連覇を成し遂げたテイエムオペラオーから約16秒離されての最下位入線。3コーナーを前に、彼はTVカメラのフレームから消えた。見事なまでの惨敗。だが、絶望感はなかった。
 12.5-11.8-10.9-11.1-12.0。
 序盤の1000m通過が58秒3。「前へ」という強固な意志以外には、作為も誇りもかなぐり捨てたタガジョーノーブルとの競り合い。凄絶なラップは、彼自身の走りを支えてきた精神の骨格をあぶり出すようで、私は痛ましさと希望を覚えた。この、膝を折らぬ気骨が彼の中で潰えていないならば次はある、と。
 脚元に異常は見られないという続報も、その希望を後押しした。私が記した願いは全て、言葉のままに果たされたのだ。

 次走は宝塚記念のはず、だった。レース後引退も考えたオーナーに、保田師はもう少し強い調教をして宝塚を目指したいと進言したという。陣営からは、より長い坂路のある栗東で鍛えるべく美浦から出張するという意欲的なプランも伝わって来ていた。
 私はというと、次こそは現地に赴くつもりで、頭の中でその算段を始めていた。
 しかし、それはすぐに覆された。栗東への移動を目前にして流れたのは、セイウンスカイの左肩に不安が生じ北海道に放牧に出されることになったというニュース。天皇賞・春から僅か1ヶ月後のことだった。復帰までの長い道のりを経て、復活へと舵を切った途端に絶たれた道筋……、関係者の心情を想うと胸が詰まった。

 更に決定的な報せは、7月初めに届いた。パソコンのモニターに映し出された引退の2文字。心に残っていた希望の糸がふっつりと切れ、思わず窓の外に視線を逃がした。そこには梅雨明け間近の澄み切った空、感情を放つにはあまりにイノセントな青が広がっていた。
 ぼんやりと想った。あそこが「蒼穹の果て」なのだろうか。なんて深く、遠くに見えるのだろう。視界が微かに震えはじめたが涙はこぼれず、それが一層胸を締めつけた。
 ふと乱れた心の中から、今や引退レースとなってしまった天皇賞・春での彼の姿が浮かび、空の青に重なった。先頭に立とうと力を尽くした2分あまりの時間、彼は届くはずもないあの高みに手を差し伸べていたのかもしれない。1998年菊花賞と同じ舞台で。埒もなくそう考えると、彼は彼にしか辿り着けない「果て」を目にしたのだと思い解くことができるような気がした。
 悪い夢のように開いたゲートの先で、5着に敗れ去った1999年天皇賞・秋。もしあれが最後のレースであったなら。私の中で、彼は報われぬ2冠馬のまま道に迷い続けていただろう。
 脚元の不安や身体の衰え、自分の意志とは離れた巡り合わせで必ずしも自らが編んだ物語に終止符を打てない名馬も多い中、自身の手であのような幕引きを演じられたというのは一種の奇跡のようにも思える。
 1年半を掛けてあの舞台に彼を蘇らせた陣営と、気骨を失わずに駆け抜けた彼自身の資質とに、私は感謝の念を抱かずにはいられなかった。

 引退のニュースから数日後には引退式の概要が発表され、天皇賞・春以来ずっと横断幕を預けっ放しだったMさんから、私の掲示板に書き込みがあった。未明の投稿だった。
 「横断幕、ながながとお借りして申し訳ございません。札幌記念は走りますよね? 必ずお返しいたします」。
 走りますよね? とは馬ではなく私のことだ。横断幕を張るためにパドックの場所取りに走りますよね、という確認のフレーズ。尋ねられるまでもなく、私の心は決まっていた。嗚咽を堪えているかのようなごく短い文面に、私の方がそれを堪えきれなかった。
 そして札幌記念の3日前、Mさんからの荷物は無事に届き、人見知りを始めたばかりの娘を実家に預け、私は札幌行きの飛行機に乗った。

 8月19日札幌競馬場。メインの札幌記念にはその年のダービー馬ジャングルポケットが参戦するとあって、場内はにぎわっていた。横断幕を張り終えた私は厩舎地区に向かった。
 牧場から直接競馬場入りしたセイウンスカイは、厩舎地区の外れにある検疫厩舎にいるはずだった。勝手の分からぬ私は、勘に任せて奥へ奥へと進み、やがて高い塀に囲まれたエリアにぶつかった。物々しい扉を開け、中にいる人にセイウンスカイの居場所を尋ねると、笑顔で招き入れてくれた。
 真新しい厩舎に、芦毛馬が佇んでいた。額から鼻筋にかけて大分白くなり、胴には綿雪のような銭型紋が浮いていた。脚元はともかく、体調は良さそうだった。
 私は引退式の前から種牡馬としての繋養先であるアロースタッドに向けて出発するまで、彼と彼を育て導いてきた人々と共に過ごした。それは拍子抜けするほど穏やかで、そして温かな時間だった。
 実のところ、私はセイウンスカイの顔を見たら泣いてしまうのではないかと自分の心持ちが不安だった。しかし、飄然とマイペースを貫く彼の様子を眺めていたら、一体何に囚われて何が悲しかったのか分からなくなるほどに、心が凪いでいった。

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(検疫厩舎で待機するセイウンスカイ)

 引退式は、高い高い秋空の下で執り行われた。ひとひらの雲もない、碧天。皐月賞も菊花賞も晴れ渡っていたが、この日の空はこれまでの記憶にないほど格別に澄み切っていた。セイウンスカイという名の妙(たえ)なる巡り合わせに、感じ入る他はなかった。
 札幌記念勝利時のゼッケンをつけ、スタンド前の直線をダグで往復し、ニンジンの下がったお祝いのレイを肩に掛け記念撮影に臨んだ。その間も、気に入らないことがあれば後脚で立ち上がるなどやんちゃな素振りを披露し、スタンドで見守るファンの笑いを誘っていた。

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 そんな彼と彼の頭上を覆う空を仰いで、私は胸の中で呟いていた。
 君を追い続けて本当に良かった。
 君は私を競馬に、競走馬に、君を巡る人々に、なにより君自身に、惹きつけて止まなかった。
 君のおかげで、色んな場所へ行き、人に出会い、激しく心動く時を過ごしました。
 君は速くて、強くて、気分屋でした。納得できねば人にも馬にも屈しない、頑固者でした。その気性は時に、君自身に刃を向けたけれど。
 逃げ馬なのか、ステイヤーなのか。結局最後まで私に君のことはよく分かりませんでした。
 君は一頭のサラブレッドでありながら、私がつれづれに仮託するイメージの集合体でした。
 私にとって君は真の「逃げ馬」でした。
 今も。たぶん、これからも。

 馬運車で彼が競馬場から旅立つのを見送り、さっきまで彼のいた馬房に戻った。板壁には彼が後脚で蹴り破った跡が残され、寝藁の少しへこんだ辺りをガラスの小窓から射し込んだ光が照らしていた。まだそこに、彼の息遣いが聞こえるようで、この日初めて寂しさが胸を突き上げてきた。
 もうすぐ、札幌記念の出走馬たちがパドックに姿を現す時間だ。私は主を失った馬房の光景を写真に収め、検疫厩舎を後にした。

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