空を、仰ぐ 1999/8/22 札幌記念 (GII)
天気予報は晴れのち雨。降水確率は確か午前中が30%、午後が50%だった。朝の6時半頃に北広島にある宿を出ると、どんよりと曇った空から早くも小雨が落ちてきている。
天気の行方も心配だったが、相棒の運転する車の中でずっと私の頭を占めていたのは、「果たしてセイウンスカイは逃げるのか?」。札幌記念の確定枠順を見たとき、私は相棒にその新聞を見せながら小躍りせんばかりに喜んだ。3枠3番。サイレントハンターは大外の8枠10番。他のハナに立ちそうな馬たちもセイウンスカイよりは外枠であった。これなら逃げてくれる。少なくとも、逃げる上で不利にはならない筈だと私は思った。
日経賞をセイウンスカイは2番手に控えて、勝った。皐月賞も2番手に控えて勝っているのだが、その時とは違う妙に大人びたレース運びを見て、何とはなしに寂しい思いが胸を過ぎった。いかにも楽な勝ちっぷりで、誰もが力の違いを認めたレースだったというのに。
そして春の天皇賞は逃げて、3着に破れた。有馬記念の時と同じように。誰も彼を楽には逃がしてくれなかった。それは彼の力が認められている証でもある。しかし、私は自分でも理不尽にこんな風に思っていた。日経賞で、きっぱりと逃げていたら。京都大賞典の時のように一見無謀とも見える大逃げを打っていたら。天皇賞で、あんな中途半端な逃げになることは無かったのではないか。
何でもいい、セイウンスカイが破れた理由を私は欲しかったのだ。しかし、「次のレースで逃げなかったら、もうセイウンスカイは追いかけないかも」とまで、いつしか私は思うようになっていた。だからこのレース、私にとって重要なのはセイウンスカイの勝ち負けではなく、「セイウンスカイが逃げるか否か」にあった。大逃げを打って結果的に直線でばててしまっても、それはそれで納得できる気がした。私の思い描く「彼らしさ」が見いだせれば、満足できる気がしていた。
札幌競馬場につくと、雨は止んでいた。しかし、雲行きはいかにも怪しい。既にたくさんの人が並んでいるのに驚いて馬券売場の列に並ぶと、またバラバラと雨粒が落ちてくる。すると狭い屋根の下に入るために人々は列を詰め、私は湿気と人いきれにむせ返りそうになった。雨はすぐに止んだ。どうか、あと半日天気が持ちますように。雨はこの後もたびたび落ちてきて、私はそのたびに空を仰ぎ、あと半日あと4時間あと1時間と、祈った。
いつものように開門と同時に走って横断幕をパドックの柵に張り終えると、その側に座り込んだ。この日は朝からパドックを周回する馬たちを眺めては、近くの馬券売場に走ってまた戻るということを繰り返していた。レースの度に、背後から聞こえてくる実況中継に耳を澄ました。パドックの柵際で2つ折りの新聞位のスペースを確保するのも、1人ではなかなか大変だった。
この日はどうも、逃げ馬が振るわなかった。4Rには横山典騎手が休養明けのヤマノハイジに騎乗して逃げたが2着。連対したのは結局この馬だけで、10Rには1番人気のスリーリバティーも逃げていたが、掲示板にも乗らなかった。
午後3時。メインレースに出走する馬たちがパドックに現れた。セイウンスカイは+8㎏。有馬記念の時よりも2㎏太い。しかしさほど太くは見えず、いつも通りのセイウンスカイに見えた。尾を振ったりちょこちょことステップを踏んだり、煩さも相変わらずだった。祈りが通じたか雨は降らず、周回するうちにふいに陽も射してきた。陽が射すとカッと暑くなる。それまで後脚に白く細い汗の筋が伝っていたきりだったのが、どの馬のお腹からもぽたぽたぽたと汗が滴ってきた。影が脚下に濃く伸び、皮膚に浮き上がる陰影が際だつ。
馬券はセイウンスカイの単勝。そして、馬連はセイウンスカイから2点。そう決めていた。セイウンスカイの単勝オッズは1.4倍。人気になっているセイウンスカイから買うには点数を絞り込むしかなかった。エリモエクセルとダイワテキサス。しかし、号令がかかり騎手たちが騎乗するのを見て考えが変わった。あまりにも余裕のある武豊騎手の表情。散々悩んで、ダイワテキサスからファレノプシスに変更した。好きなエリモエクセルは、どうしても切れなかった。
レースを見るためにこの日初めてスタンドに出る。雲が切れて、空がところどころ覗いていた。スターターが旗を振り、ファンファーレ。どう考えてもリズムの取りにくい札幌のファンファーレにさえ、拍手は沸き上がる。私はと言うと、いつもと同じように緊張で硬直していた。つま先立たないとターフビジョンも見えない。人と人の頭の間を見つけるのに必死だ。
枠入りが終わってスタート。歓声がどっと上がる。セイウンスカイを目で追いかける。が、が。出遅れたわけでもないのに、全く前に出ようと言う気配がない。なぜだろうと思う間もなく、イヤな予感に背中ががんと冷たくなった。スタンド前を馬群が行き過ぎる辺りで、歓声は訝しむようなどよめきに変わる。セイウンスカイは後ろから数えた方が早いくらいの位置に控えていた。逃げたのはダイワカーリアンで、サイレントハンターも控えていた。
3コーナー前辺りからどよめきがまた大きくなる。セイウンスカイが一頭、また一頭と前の馬を交わしていく。仕掛けるのが早過ぎるんじゃないのか。掛かっていってしまったのか。そして、4コーナー辺りではもう先頭に並びかけていた。
「交わせ、交わせ!」一杯に声を張り上げる。直線で先頭に躍り出ると「離せ、離せ!」。差を拡げていくのを、外からファレノプシス一頭が追いかけてくる。「粘れぇぇぇ!」。エリモエクセルを見ている余裕もなかった。ただ、懸命にセイウンスカイの姿を目で追っかけて叫んでいた。いつも「そのままぁ~!」だけで済む最後の直線、こんなにヴァリエーション豊かに叫んだのは初めてだったかも知れない。そして、一等先にゴール。
ホッとして腰が抜けそうだった。しかし、何とかウィナーズサークルに行けないかと左手の方を望んだ。しかし、人の頭で埋まっているスタンドをそこまで移動するのはあまりにも大変そうだ。その場に留まり、一緒に観戦していた人々と、引き続き新潟、小倉のメインレースを見ることにした。次のレースのオッズやメンバーを映し出すターフビジョンを見ていると、すうっとその前をセイウンスカイが横切っていった。ゴールした後、さらにコースを一周してようやく戻ってきたらしい。既に検量、表彰式の方に移っているのだろうと思っていたので、これは不意を突かれた。周りの人が「ステイヤーとしての適性を見せつけたいのか」、「そんなに3200を走りたいのか」と野次るのを聞いていると、笑いがこみ上げてきた。飄々と出し抜けを喰らって、ようやく興奮から嬉しさへと心のスイッチが切り替わったのだ。
最終レース後「セイウンスカイ教」の人々と会うために、パドック脇で外した横断幕を目印にと手で掲げていた。すると、少し離れていたところで集まっていたおじさんたちの集団から1人、こちらを見ながら近づいてきた。「セイウンスカイを応援してくれてありがとうございます」とお辞儀をしながらそう仰った男の人は、セイウンスカイの故郷、西山牧場の方だった。馬に読めるはずもない横断幕をせっせと掲げていたのは、やっぱり関係者の方に何かが伝わればとも思っていたから。決して見返りを求めていたわけではないけれど、私は何か報われたような気がして、胸がいっぱいになった。
祝杯を挙げるために駅に向かうバスを待っていると、大粒の雨が落ちてきた。幸運にも間髪をおかずにバスが到着し、たまたま列の先頭に並んでいた私たちは殆ど雨に濡れずにすんだ。熱気を洗い流すように夕立は通り過ぎ、バスを降りる頃にはもう止んでいた。あの夏を凝縮したような光は、まさにメインレースのためだけに雲間から差し込んだのだ。私は、屋根から落ちる雨粒のごとく馬たちの腹部から滴っていた大量の汗を思い返していた。きつい逆光を受けて、白く輝きながら落ちていた汗。まるで海から上がった魚たちのように、どの馬も濡れた肌で日を照り返しながら、スタートを切っていった。観客のどよめきで湧いたスタンドは屋根の落とす影に覆われていたが、コースの芝も馬たちもそこだけがくっきりと輝いていた。
少々酔っぱらいながら宿に戻る地下鉄に揺られ、レースを反芻していた。嬉しさと同時に、複雑な気持ちも一方で湧いてきていた。
セイウンスカイはこう、と何かにカテゴライズされるのが確かに似合わない。だからこそ「似非」の馬なのだと私は天皇賞・春の後に記した。
けれど、悠々と逃げる君に一番の魅力を感じていた私の気持ちはどうなるんだろう。どこまで私を煙に巻いたら気が済むのだ、君は。「逃げ馬」のレッテルさえ君は拒否して、あまつさえ勝ってしまった。レース後、不意に目の前を横切ったセイウンスカイの姿。こんな事は自分には大したことではないのだと言いたげな、鷹揚な走り。
・・・くそぉ、こうなったら最後まで追っかけてやる。「本当は」どんな馬なのかを見極められるまで、とことん追っかけてやる。
心の中でぶつぶつと呟いていた。しかし、ふとあることを思いつくと微かに苦い笑いがこみ上げてきた。そんな私にとって、セイウンスカイはやっぱり「逃げ馬」なんじゃないか。さんざん追っかけさせておいて、捕まるかなと思わせて、また突き放す。とんでもなく悪い男だ。追いかける私には決して見えないけど、絶対ヤツは逃げながら舌を出しているに違いない。
次はどうするんだろう。逃げるんだろうか、差すんだろうか。いつの間にか「次」のセイウンスカイに思いを馳せて、わくわくしている自分をどうすることもできなかった。
私は空を仰ぐしかないのかな。あきらめるように、あきれるように。捕まえられるはずのない、雲に手を伸ばすように。