言語化される前の、「感情」と「本当の願い」を意識すること
今年の8月から認定NPO法人PIECESさん主催の「Citizenship For Children」というプログラムに参加しています。
地域に暮らすひとりの大人として、子どもが孤立しない「やさしい間」をつくっていくための学び、気づきを探求していくものです。
実際に子どもと関わる現場での体験を持ち寄り、参加者同士が語り合っていくワークもあります。
まだまだプログラムは始まったばかりで、先日そのワークの一つである「リフレクション」を体験しました。
心に残っている子どもとの関わりを、一対一で10の質問をし合い、その時の自分の行動や子どもの言葉や反応を振り返り、自分の感じ方、価値観に気づいていくというワークでした。
行動の評価や分析が目的ではなく、言語化の過程で感情や価値観に気づくことが大事なワークなのだと思います。
この体験のしめくくりで、PIECESの事務局長Sさんがリフレクションを日常に取り入れて楽しむコツとして語ったことがとても印象的でした。それは「言語化される前の感情や思いを意識する」ということ。Sさんは「thinkとfeel、あるいはthinkとwantは混同しやすい。例えば”許せない”と言語化される前に、体にどんなことが起こったか、頭とか血液とか胃腸とかの変調、そこに感情や願いといったものが在る」とお話されました。
ここで、私はとっさに<四大元素>に思いを馳せてしまったのですが(笑)、言語化=風の上位にあたる、感情=水、本当の願い=火にスポットを当てるためには、体を巡る水分や気のようなものを捉える必要があるのだということが、とても腑に落ち、またそこをしっかりと味わい、見つめることの大切さ難しさを思ったのでした。
人との関わりの中で、私は「言語化」そして言葉によるコミュニケーションに偏りがちだけれど、タロットで風を象徴するのが「剣」であるように、言語化の過程を疎かにしてしまうと、自己も他者も傷つけずにはおれない要素が多分に含まれてしまうように思います。
また、その能力が発達途上にある子どもとの関りにおいては、言葉にならない感情、本当の願いに常に想いを巡らさなければならないということでもあるでしょう。
そんなことを頭の隅で考え続けていたら、今日こんな動画に出会いました(観たというより聴いたのですが)。
私が中高生くらいの時から活躍されている占星術師のマドモアゼル愛さんのYoutubeチャンネルで、なんとも言えない哲学的な語りが好きで最近よく聴いています。
そうか、「命に尋ねてみる」なのか…。
feel、wantを探るということは、突き詰めてみると、私の身体に、目の前にいるその人の身体に宿っている「命」に尋ねてみるということ。
言語によって、人類のコミュニケーション(分かち合い)は効率化され、知識の蓄積は飛躍的に進んだけれど、ひとりひとりの命の根底には言語化される前の「感情」の流れ、「本当の願い」の燃焼がある。
やわらかな言葉、非言語のコミュニケーションを含む「やさしい間」を紡ぐためには、そこを見つめ丁寧に反芻をするというワークが欠かせないのかもしれません。
「Citizenship For Children」のプログラムを修了する来年1月ごろ、風の時代の扉が開きます。それまでしばしこの「命に尋ねる」を意識して過ごしてみようと思います。