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繋ぎ止められぬもの (dis・trust)  1999/10/31 天皇賞・秋(GI)

※この記事は1998年の2冠馬セイウンスカイのファンサイトに掲載していたものの再掲です。

 一般のスタンドも2階席からだと、コースの状況がよく分かる。
まるで土星の環のような茶色の帯が、緑の芝上に残っているのをはっきり確認することができた。
 「あれが、仮柵跡というやつなのねぇ」と私は感心して友人に話しかけた。初めて、自分の目でそれを確認したような気がする。なるほど、内側の綺麗な緑のコースが「グリーンベルト」で、セイウンスカイはあれに助けられたと言われてきた訳か。
 時折吹き抜ける風。
 入場門前で横になった前夜は殆ど眠れず、その風は心地よく柔らかに眠気を誘った。

 去年のダービーの時には、あの帯はなかったのだなぁと私はぼんやり思った。あんなもの無い方がいいよなぁ。勝ったとしても、またあれに助けられたと言われるのはゴメンだ。君が勝つためなら、「私は」あそこを通っても文句は言わないけどさ…。

 それに。札幌記念で差しの競馬を覚えたとされる君、セイウンスカイは今回逃げることはないだろう。ということは、必ずしもあの緑の上を通って来られるとは限らないのだ。
 私は目を閉じて、セイウンスカイが馬群を抜け出し先頭でゴール板を駆け抜けるシーンを想像しようとした。突き抜けるような楽勝のシーンも想像できれば、全く伸びずに惨敗のシーンも浮かんできた。夢の入り端のようなそのイメージに、私の心中はさざ波のように振れていた。

 今回はセイウンスカイの勝つ番。
 スペシャルウィークとの対戦では必ず一方が勝利し、春天を終えた時点で星一つスペシャルウィークにリードされていた。気がかりなのは、そのスペシャルウィークが万全とは言えない様子であったことだ。
 京都大賞典でまさかの着外、追い切りでは条件馬に後れをとった。私はその映像を、悲しく見遣った。
 私は実のところスペシャルウィークが嫌いではない。彼に負けた時の言い訳を用意して欲しくなかった。そんな馬ではない。まっすぐに王道を駆けてきた馬。
 もしセイウンスカイが負ける時には、スペシャルウィークに負ける。そう確信していた。直線でこの2頭が激烈な接戦を演じ、ハナ差でもセイウンスカイが先着する-というのが私の一番望んでいる結末なのかもしれない。

 天気はすかっとした秋晴れ。晴天はセイウンスカイにとってゲンがいい。あの時も、あのレースも。
 しかし、私の心は晴れなかった。秋天の一番人気。それが重くのしかかっていた。しかも、明らかにそれは「支持」の数字ではなかった。「否・不支持」を無言で叫ぶようなオッズ。

 馬体重の数字に、場内がざわめく。セイウンスカイは-2㎏、スペシャルウィークは-16㎏。セイウンスカイはもう少し絞れた方がよかったのでは、それにしてもスペシャルウィークのこの数字は…。
 パドックに現れたセイウンスカイは随分と落ち着いていた。細かく刻むようなステップや、時折首を振るような仕草は変わらなかったが、気持ちの余裕のようなものが感じられる。
 一方、スペシャルウィークは外外を周回するのはいいのだが、今ひとつ歩様に勢いが感じられない。

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 スペシャルウィークの覇気の無さ。そして、セイウンスカイも何かを踏み越えようとしていた。
 双方の馬ともに危うさを抱えているように伺えた。

 ファンファーレの後、セイウンスカイはゲート入りを嫌った。7分、発走時刻は遅れ。更にその2分後にはスペシャルウィークの優勝が確定していた。

 何度思い返しても、そのシーンは哀しかった。
 実際には嗚咽も、涙も、私の外には出ていかなかったが。実体化されるには、靄のように判然としない感情と対象。

 それは、セイウンスカイが敗れた事にではない。敗れたことも、JCに出られなくなったことも、それは悔しい。やりきれない思いばかりがこみ上げてくる。脱力感で数日は何もする気になれなかったほどだ。

 私が哀しみを覚えたのは、あの黒い目覆い。あれを被された時、彼が感じたのは、いきなり襲った暗闇だけではなかったのではないかということ。
単純に光を遮断するための色なのだろうが、その黒は私の上に不吉な影を落とした。
 激しく抵抗するセイウンスカイ。
 それを被されたセイウンスカイは、まるで処刑場に牽き出される罪人のようであった。

おそらく初めて被されたその目覆いの奥で。彼の中の漠然としたゲートあるいはレースに対する不快感は、人間への明確な不信感へと形を変えていったのではないか。あくまで私の想像、いやほとんど妄想に近い考えである。しかし、そう思うと酷く哀しかった。

 昨年の京都大賞典と今年の札幌記念。ともにセイウンスカイが優勝している。前者は無謀とも思える大逃げ、後者は後方からのまくりによって。
セイウンスカイが現役生活を振り返ったときに、ターニングポイントとしておそらく位置づけられるであろうこの二つのレースで、横山典騎手は似たようなコメントを残している。曰く「馬任せ」、「馬の行くまま」。あの緩急を巧みにつけた大逃げも、後方での待機策も、馬主導だったというのだ。
保田調教師もそれを裏付けるような言葉を残しており、どこまでが真実で、どこまでが勝負師としての韜晦であるのか、正直掴みかねている。
 ただ、最後のスパートのタイミングだけは、どう考えても騎手によって導き出されているのだろうし、馬もそれに応える形で勝利を物にしてきているのだろう。

 セイウンスカイの我が儘ぶりというか気分屋的な面は、これまでにもいくつかのエピソードが伝えられている。ゲート入りを嫌がるのは有名だが、馬運車からなかなか下りてこなかったとか、洗い場に入るのを嫌がるとか。
回し蹴りが得意で、売られたケンカは必ず買うとか。
 自分が納得できないことに後ろから強制されるような事には、とことん抵抗するというような話もある。同時に、馬房の扉を自分で閉めるというような利口な?一面もあるようだ。
 
 多分、セイウンスカイは最後のところで人間に決定権を委ねられない馬なのだ。
 先天的なものか、後天的なものかは分からない。
 しかし、それは自信と、その裏にある人間への不信に根ざしているのかもしれないと、少し前から私は想像し始めていた。競走馬として、その気質が彼の能力の発露を阻むに至らなかったのは、「馬に任せた」という鞍上のこれまでの判断や、彼の我が儘をやんわりと受け止めてきた周囲の人々の愛情に因るものであったかもしれない。そんな風に。

 しかし、その気質はとうとう彼自身の命運を蝕んだ。天皇賞という舞台、黒い目覆いという最悪の形を取って。

 彼が人間を信じていないとして、人間の方も彼を信じてはいなかった。
 1番人気に推されたとはいえ、その単勝オッズは3.8倍。一時は4倍を越えた。もしスペシャルウィークが前走を惨敗せず、万全の状態でこのレースに臨んでいたなら。1番人気の座にはスペシャルウィークがついたであろうし、そうであればこれ程の数字にはならなかったであろう。
 そして、その不信は結果となって裏付けられた。彼を信じなかった人間は正しく報われたのだ。

 彼を覆う不信感と彼を満たす不信感とがピークに達したとき、悪い夢のようにそのゲートは開かれた。

 彼は、負けるべくして、負けたのだ。

 レースから半月も経たないうちに、彼が放牧に出されるというニュースが流れた。原因は「全身に残った疲れ」が取れないからだという。漠然としたそのコメントに不安を覚える一方で、納得している寂しい自分がいた。
私のどうしようもない妄想が裏打ちされてしまった気がした。

 ゲート前で大量の汗を流していたセイウンスカイ。
 スペシャルウィークと同じ位置から叩き出した35秒0という上がりの時計。それは勝ち馬に次ぐタイム。
 最後の直線で彼の取った進路は、スタンド席から望み見たあの土星の環のような茶色の帯上であった。

 納得できぬままゲートに入れられ、彼の心も躯も極度の緊張状態にあったに違いない。そんな中でも、速く走ることこそが生き残る術だということは忘れていなかっただろう。否、不信感に包まれ、自らも不信感にまみれていればこそ、そのことはより強く想起させられたかもしれない。
 しかし、そのような状況で最も速く走ることなど到底かなう筈もなく。彼に残ったのは、全身を覆う疲れ。こわばった筋肉から無理矢理力を振り絞った結果だけだった。

 彼の中に私が妄想するような気質が含まれているとしたら、それは多分競走馬には不要なものだ。不要であるばかりではなく…自らを不幸にするもの。誰も、彼を繋ぎ止められはしなかった。彼も自らを繋ぎ止められなかった。
 繋ぎ止められなかったものは、5歳秋という本来なら充実しているべき時間と、それが含んでいた可能性、同期のライバルたちとの物語、そして、そして?

 今頃、彼は故郷の牧場でゆっくりと休んでいるだろう。2冠を戴いて勝ち得た他馬の倍あるという特別な馬房で。彼にとっては3年ぶりとなる北海道での越冬である。
 雪がゆっくりと草を覆うように、春には解けて色んなものを流していくように。彼の中の疲れも、悪夢のような記憶も、遠い遠いところに押しやり消し去ってくれる、そんな冬であるように。
 次に君に会う時は、私の中の妄想も陽に当たった薄氷のごとくすぅっと解けていく、そんな春であるように。

 しかし、その春の到来は随分と遠そうだ。君が帰ってくるとき、私はどんな風に君を見つめるのだろう。

後記:書きかけのこの原稿に再び向かい合うのが、実はとても恐かったりしました。酷くマイナスな妄想を繰り広げていたような気がしていたからです。0今読んでも、やはり妄想気味であることは間違いないのですが、まとめて掲載することにしました。
 後から屈腱炎が判明したセイウンスカイですが、経過は比較的順調なようです。その復帰の時に、こんな文章を書いてしまったことを心底後悔する自分がいたらいい、それはそれでいい。現在の偽らざる心境です。

(2000/2/3記) 

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