似て非なる 1999/5/2 天皇賞・春 (GI)
※この記事は1998年の2冠馬セイウンスカイのファンサイトに掲載していたものの再掲です。
レースが終わって大分時間の経った、夜7時過ぎ。私は再び京阪の淀駅に降り立っていた。駅の周辺は、群衆の塊がうごめいていた夕方とは打って変わり、数える程しか人がいない。とぼとぼと、私は京都競馬場に向かって歩き始めた。道沿いの飲み屋から、いい具合に酔っているらしき、おやっさんたちの声が漏れ聞こえる。普段の夜はそんなに人通りがないのだろう。街灯もぽつぽつと立っているだけで、線路沿いの道はかなり暗い。
やがて京都競馬場の端に辿り着いた。屋根付きの通路には黄色っぽい灯りが点き、誰もいない通り道を照らしている。バスの駐車場の方に、何人か仕事帰りとおぼしきおばちゃん達が、きゃらきゃらと笑いながら通り過ぎていった。大分丁寧に掃除されたのだろう、通路はゴミが殆ど残っていない。生け垣と柵の向こうにそびえ立つ京都競馬場は、青白い光に煌々と照らされていた。掃除の機械だろうか、遠くから低いエンジンのうなりが伝わってくる。
全部、夢じゃなかったろうか。抜け殻のような頭で、そんなことを思った。全部、片づけられてしまった。新聞も。マークカードも。外れ馬券も。人々は何処に片づけられたのだろう。未だ一日も経っていない筈の夕べの記憶が、随分遠いものに感じる。
…かなり酔っぱらって座り込み、買ってきた新聞を鞄から取り出す。東スポではなく、大スポ。そう、関西は京都競馬場前での徹夜組の列に、私は再び加わったのだ。菊花賞の時よりはだいぶ暖かな夜だったが、それでも昼間の暑さに比すると相当冷え込んで来ていた。間に挟まっている色の違う紙面のみを引っぱり出して、地面に広げる。しばらく、馬柱や予想記事をぼけっと眺めていたが、ある言葉に目が止まった瞬間、ただでさえ酔って熱っぽい頭にカッと血が上った。
「エセステーヤー・セイウンスカイ」という言葉。
そらあんた、言うならステーヤーぢゃなくて、ステイヤーやろ。と、心の中でこっちもエセ関西弁でしょうもないツッコミを入れたが、それで収まるものではない。何とでも言いなはれ。勝つのはセイウンスカイや。心の中の声は威勢が良かったが、しかし、エセという言葉は強烈に心に突き刺さり、いつまでもイヤな感じが拭えなかった。
朝から良い天気だった。いつものように、必死で走り横断幕を張る。張った途端に、一日で使う気力の半分以上を消耗して、ぼけっと座り込むのもいつものことだ。前日、京都の町で買った白味噌あんの柏餅を頬張りながら、また新聞を広げる。「エセ」か。どうも、イヤな言葉だなあ。すかっと、きっぱりと晴れ上がった空の下で、私の心はもやもやと晴れなかった。
あれは、有馬記念の後だったか。とある掲示板で「セイウンスカイは、結局、評価などと言う賢しいことを、人にさせない馬になるのでは」と、予感めいたことを書き記したことがある。良くも悪くも、人の側の評価を覆す不可解な馬になるだろうと言う意味で。そしてまた、自分も含め、誰が彼の馬の力を真っ直ぐに評価できているのか、と言う苛立ち。
その、苛立ちの方が、またむくむくと頭をもたげていた。私の苛立ちとは別の世界で、彼のオッズの方もまた、じりじりと上がっていった。10時過ぎには、何とか1番人気を保っていたが、午後にはスペシャルウィークにその座を明け渡していた。正直、人気になりすぎていると感じていたので、それには何の感慨も覚えなかったが。
半日をじりじりとやり過ごす。強すぎる陽射しでパドックは、灼けつくように暑かった。対して、検量室前は日陰。仕事のため、昼頃そこに居たのだが、ジーパン姿の細い男の人が、隅に佇んでいるのが目に入った。時折人に話しかけられる度、何気なく微笑む彼は紛れもなく、スペシャルウィークの鞍上であった。その姿に気負いのようなものは、微塵も感じられなかった。「表彰台に立つのはこの人かもなあ」と、自然にそう思った。それ程、彼には涼しげな存在感があった。
馬券は殆ど買わなかった。人々の会話から、万馬券が出ているらしいことは分かった。だが、私には関わりのない話だった。気力を殺ぐような、日射し。どうも、悪い思考ばかりが頭を巡る。スペシャルウィークとは「負け、勝ち、負け、勝ち」。今度は「負け」の番か。
ようやく、日射しが和らいだ3時過ぎ、パドックに天皇賞の出走馬たちが、姿を現した。セイウンスカイは名前入りの新しいメンコを付けていた。いつも通りの、煩い仕草。落ち着きのない歩様。それを見届けて、スタンドに走った。
(パドックを周回するセイウンスカイ)
スタンドは人で埋まり、どうにもこうにも前に行けそうにはない。すぐに断念し、多少躊躇したが記者席の方に向かった。本馬場入場前のその席はまだ、がらがらだった。申し訳ないような気分で、それでも最前列の席に座った。本馬場入場が終わると、厩舎関係とおぼしき人や、記者らしきプレートを下げた人が入ってくる。私は小さくなりながらレースを待った。
スタンドの盛り上がりに比べ、記者席は静かだった。当たり前だが、手を打ち鳴らし、新聞を振るような人はいない。ある意味勝負をしている人が殆どなのだろうが、外見は至って冷静だ。私は少し、後悔した。自分だけが冷静さをすっかり失っているような気がした。
いよいよレースだ。スペシャルウィークがスタート良く飛び出し、セイウンスカイと並ぶような格好になった。セイウンスカイはというと、じわっと前に出はしたが、スタンド前で完全にハナに立つまで逡巡しているように見え、有馬記念のレースが思い出された。あの時と同じ、か。しかも、スペシャルウィークの位置が尋常ではない。離した逃げに持ち込めなかったセイウンスカイを、いつでも捉えられるような位置取りだ。しかも、先行するサンデーセイラがセイウンスカイをからかうように、競り掛ける。見えない糸にからめ取られているようなセイウンスカイの走りを見、向正面で私は殆ど観念した。
そして、4角を回り、最後の直線でスペシャルウィークがセイウンスカイになんなく並ぶ。なんとか突き離せっ、と拳を握りしめた瞬間、既にスペシャルウィークは抜き去っていった。声も出なかった。メジロブライトにもあっさり抜かれ、私は天を仰いだ。あんなに晴れ上がっていた空は、雲で覆われていた。ゴールの瞬間は見なかったが、手が細かく震えていた。
「イヤー、思った通りだ」と笑いながら、目の前を白井調教師が階段を駆け下りていく。他の記者や、厩務員の人たちもこぞって、下に降りていく。私は、取り残されていた。掲示板を見て初めて、シルクジャスティスがセイウンスカイにハナ差と迫っていたのを知った。しばらく呆然と、そこに座ったままであったが、表彰式用のお立ち台や紅い敷物がターフの上に設置され始めているのを見ると、私はこそこそと階段を下り、うなだれながら検量室前を通り過ぎた。「エセステーヤー・セイウンスカイの化けの皮が剥がれ」てしまったな、と心の中で呟きながら。
-No.1ゲートの方は未だ片づけられていなかった。レース後のやるせなさが、色々なゴミに混じって散らばっていた。ふと私は足を止めた。「セイウンV」という赤文字の見出し。真上からあたるライトのせいで、その見出しは浮き上がって見えた。ぐしゃぐしゃに踏みにじられたその新聞を見て、どうにも我慢できず、私は天井を仰いだ。…彼は何で走っているのだろう。ただ走るしかない、定められた道筋の上で。評価されるため、評価されないため。多分、「正当なる評価」など彼自身は欲してはいない。保田調教師に牡馬だからと選ばれた時から、彼は生きていく道を自ら引き寄せてきた。その為の手段が、早く走ることであり、多分「逃げる」ことでもあり、「不当な評価」はそんな彼を助けもしただろう…。
私にとって、彼は誰にも似ていない。「似て非なる馬」なのだ。分かったつもりには決してなれそうもない、つかみどころの無さ。多分、そこが私を惹きつけて止まないのだ。彼は、馬ですらないのかも知れない。私には最後まで、馬の形をした別の何か、かもしれないのだ。それならば。「エセ」でいいじゃないか。
そう、彼は「似非」の馬なのだ。正統派ヒーロー的要素をてんこ盛りにしたようなスペシャルウィーク。正直、惚れ惚れするほど美しい馬だ。目の輝きも、立ち居振る舞いも、繊細な躯つきも。何故、彼に惚れ込まなかったのだろうと思うほどに。もちろん、セイウンスカイも綺麗な馬だと思う。が、輪郭のぼやけたような印象は拭えない。多分、それは「エセ芦毛」とでも言いたくなるような、毛色のせいだけではない。
「何故、こんなに走るのか分からない」という言葉を、去年の春頃、よく目にした。血統が全てを決すると考えている人々にとっては、昨年の2冠は説明しづらい、できれば無かったことにして欲しい「エセ2冠馬」であるだろう。父自体、種牡馬としてその能力を把握されきる事のないまま、廃用に追い込まれた。彼自身の未来が同じではないと、おそらく誰にも言えない。
強いのか、弱いのか。ステイヤーなのか、そうでないのか。「弱い馬ではない」「ステイヤーでないとは言えない」。彼には、否定の更に否定の表現がつきまとう。私にも分からない。肯定と否定の中で揺れながら、馬券と思い入れの間で揺れながら。彼の形をなぞろうと、競馬場に駆けつけて、パドックで彼を目の前にしても。レースを何度目にしても。
彼は、負けた。どうしようもなく、負けた。ダービーの時と同じように。有馬記念の時と同じように。勝った皐月や菊の方がマボロシに思えるほどに、私は打ちのめされていた。もちろん、ほとんど空っぽの財布の方は、どうひっくり返してもマボロシではない。
感傷に浸っている場合ではなかった。私は間抜けなことに、パドックに買ったばかりのカメラを置き忘れたのだ。そうでなければ、今頃わめきながら、京都の町であんみつのヤケ食いでもしていただろう。私は、親切な人が遺失物係に届けてくれた、そのカメラを受け取るため、悪夢の京都競馬場にとんぼ返りしたのだ。酷くうらぶれた気持ちで足を早めた。駐車場に続いている地下道の脇を行き過ぎると、警備員の詰め所の灯りがぼんやりと滲んで見えてきた。