Next Step 1998/12/27 有馬記念 (GI)

※この記事は1998年の2冠馬セイウンスカイのファンサイトに掲載していたものの再掲です。

 夜中の東名高速を、私は西に向かって車を走らせていた。窓の向こうの闇をいくつもの光が背に流れていく。京都大賞典の帰り、私は逆の道筋を辿りながら、何度も溢れそうになる涙を堪えてハンドルを握っていたのだ。 有馬記念から2日経った夜、私はその時のことを思い出し、レース直後とはまた違った感情が生まれてくるのを感じていた。

 レース直後、私は呆然と立ちつくしていた。唇が震えていた。勝ったのはグラスワンダー。綺麗な栗毛の勝者を見下ろしながら、目に映った事実を何とか逆回しにしたいと念じていた。否定できるものなら、否定したかった。スタートから終始、まるで義務感に煽られているかの如く逃げ、余裕無く最終コーナーを廻ってきたセイウンスカイ。直線半ばで内外から他馬に呑み込まれた彼をファインダーの中に追いかけ、その姿を無言のまま見送った。菊花賞の時に感じた大らかな彼はそこには見いだせなかった。

 的場騎手が嬉しそうに手を振っている。拍手が聞こえる。グラスワンダーも的場騎手も私は好きなのだ。祝福しなくては。そして私も周囲に合わせて掌を打ち合わせる。おめでとう。しかし、私の心中の声は無表情で、何か棒読みのようだった。顔が強ばっていくのが分かる。

 ……そこにいるのは、セイウンスカイの筈だったのに。

 熱いどろっとしたものが心に湧いてくるのを感じていた。嫉妬と悔しさ。疲れと諦めが覆う冷めた表層とは分離した、制御できない熱さが心の底を灼いていた。私は風邪気味というのもあったが、それを悟られぬよう人を避け、逃げるように真っ直ぐうちへと帰った。家に帰ってからも、フジとNHKと2本も撮ったビデオを、どうしても見返すことが出来なかった。いつもなら、帰るなりぺたんと畳に座り込み、見上げるようにしてビデオを見返すのに。

 有馬記念の前夜から、私は横断幕を抱え中山競馬場で過ごしていた。周りの人が広げている新聞には、どれもセイウンスカイの文字が踊っている。前々日オッズはダントツの一番人気でなんと2倍ちょうどだった。ダービーの時と何という違いだろう。あの時は確か3番人気だった。どの新聞もスペシャルウィーク一色で、何だか悔しい思いがしたものだ。「そんなに差があるものなの?」と。今度の状況はまるで逆だ。しかし、好きな馬が評価されているという嬉しさよりも、文字の重さの分だけ危うさが増していくような、いい知れない不安の方が大きかった。「本当にそんなに差があるのかな?」と。
 
 確かに、最終登録馬のリストを見た時、私は「これはひょっとしたら勝てるかも知れない」と思った。それは他に逃げそうな馬がいないという単純な理由だけで、他馬との絶対的な力量差があると思ったからではない。好きな馬達が集まったこのレースで、そんな事は思いたくなかった。勝つのはただ一頭だが、私にとっての強い馬がただ一頭になるわけではない。・・・その筈だった。

 悔しい。ものすごく悔しい。家に帰り、私は相棒に向かってうわごとのように繰り返した。そう、私は悔しかったのだ。悔しさの分だけ、私はセイウンスカイが勝つと信じていたのだ。他の馬よりも強いと信じていたのだ。
 
 思い返すと何だか可笑しかった。子どものようだ。理屈をこねながら、矛盾している本当の気持ちを吐き出さずにいられない自分。胸の奥がくすぐったくなった。ふと心が軽くなるのを感じた。

 私が偶然好きになった馬で、彼ほど劇的に強さを見せつけてくれた馬は、これまでいなかったのだ。競馬を始めた頃、名前や姿に惚れ込み、強いのか弱いのかよく分からないまま条件馬を追いかける私に、友人は言ったものだ。「もっと、強い馬を好きになればいいのに」と。私はその言葉に反発するように「好きになった馬が強くなればいいのに」と思っていた。それを叶えてくれたのが彼なのだ。最初は、たまたまだったのだ(あなたの相馬眼に恐れ入りましたなどとある人に言われたが、だからそれは全くの誤解なのだ)。偶然好きになった馬が、誰からも「強い」と言われるようになった。それは私にとって喩えようのないヨロコビとなった。

 京都大賞典からの帰り、涙が滲んだのは、信じて報われたものが奇跡のように思えたからなのだ。信じることと求めること。私は今回一番人気となった彼に、勝つことを求め始めていたのかも知れない。彼によってもたらされた秋のヨロコビに酔いしれる余り、その美酒がまた与えられることを当然の事と、どこかで決めてしまっていたのだ。不確定の未来を信じるのではなく。決して理不尽ではない筈の、一つの敗戦が大石を呑み込むが如く受け入れ難かったのは、多分私の方が何か一つラインを踏み越えてしまっていたからだろう。

 思わずテレビに視線が向いたジュニアカップ。その逃げに惚れ込んでしまった弥生賞。テレビの前で万歳三唱をした皐月賞。いろんな思い出をくれたダービー。ゴール板前で泣きじゃくった京都大賞典。3000mがあっけなかった菊花賞。そしてついに一番人気に推された有馬記念。彼はこの一年本当によく頑張った。今回負けたことで、きっとまた一つ大きくなるのだろう・・・。ダービーの敗戦の後、夏の鍛錬を経て、誰もが驚く程の成長ぶりを見せつけたように。

 車を走らせながら、私は知らず微笑んでいた。

 一週間経ってからようやく見返したビデオの中で、どの馬も懸命に持てる力を尽くしていた。
 
 ゴール前、彼のすぐ後ろから、エアグルーヴは最後の言葉をそっと囁いていたのかもしれない。
 -「これが、一番人気で走る難しさなのよ・・・」
それはたわいのない、私の想像。

 好むと好まざるとに関わらず、セイウンスカイはこの敗戦を越えていく。そして、私にも次へのステップとなるのだろうか。赤子のように、ただ信じるのでも、ただ求めるのでもなく、もう少し・・・。

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